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<51話
幸い、竜型でシルヴェステルが暴れたのはわずかな間だった。人的被害も死者はなく、怪我をした兵士たちも、三日も入院して治療を受ければ完治した。
後宮は全壊したし、それ以外にも破損した箇所は多かったが、物は直すことができる。問題は、ナーガの幻術に魅入られたまま戻ってこない人々の心だった。城の混乱に乗じて当の本人は姿をくらました。すぐに正気を取り戻した者もいれば、いまだに夢の中をたゆたっている者もいる。
シルヴェステルはベリルに、自分を正気に戻したように、他の者もどうにかならないものかと尋ねた。しかし、彼は残念そうに首を横に振った。
「俺の力は、あくまでも竜にしか効果がないものだから」
時間が解決してくれるかもしれないし、金輪際現実に戻ってくることがないのかもしれない。蛇人族の幻術は、心の闇が深ければ深いほど、根を下ろす。シルヴェステルは被害者家族の生活の補償をすることを即決した。これ以上、蛇人族につけこまれる者を、増やさないように。
城の修復にしろ、補償金の算出にしろ、人手がとにかく不足していた。甘い汁を吸ってきた王都在住の貴族たちの中には、今回の騒動を受けて、竜王の力を初めて実感し、王都を離れて領地に引きこもる選択肢を取った者たちもいた。引き継ぎすらまともに行わなかったせいで、余計に混乱をきたしている。
どこに人員を割くべきか頭を悩ませている政治家たちに、ベリルは真正面から意見した。
「今こそ人間族と協力すべきではありませんか?」
と。
当然強い反発に遭ったが、「そもそもこのような事態が起きた原因は、そういう差別の心があったからじゃないんですか?」と、彼は辛抱強く説得した。
ナーガがこの国を壊そうとしていたのは、蛇人族だからというだけで、顔を焼かれ捨てられ、悲惨な人生を送ってきたことに対する復讐だ。それだけなら、貴族たちは聞き流しただろう。しかし、その後の言葉にざわついた。
「ナーガは、ミッテラン侯爵家の嫡男でした」
事前に聞いていたシルヴェステルは落ち着いていたが、会議室に揃っていた重鎮たちは混乱している。ミッテランは言わずもがな、生粋の竜人貴族の名門家系だ。
名指しされたミッテラン侯爵は、首肯する。
「確かに、我が子アロイスには顔の右側に鱗がありました」
唐突にもたらされたスキャンダルに騒然となる面々を、シルヴェステルは唸り声ひとつで黙らせる。また暴れられたら敵わないとでも思っているのだろう。ぴたりと止んだ。
「ミッテラン家は竜人貴族。そこに蛇人が産まれたということは、こうは考えられませんか」
すなわち、太古の昔には、種族に関係なく愛した者同士が番っていたのだと。記録にすら残らない、まだ貴族と平民の区別もなかった時代の先祖の血が、ナーガの中で蘇っただけ。蛇人族は迫害を受けて、どんどん数を減らしている。しかし絶滅することがないのは、低い確率で先祖返りが産まれ続けているからではないか。
「蛇人族を産んだ母親もまた、ひどい目に遭うことが多いと聞きます。そしてそれはまた、新たな火種を産みかねない」
第二、第三のナーガが現れないようにするためには、自分たちの意識を変えていかなければならない。
「人間族だって、力を持たない者なんかじゃない。力も知恵も、竜人に負けないくらい優れている者だっている。国をよくしたいと思っている人間だっているんです。彼らにどうか、機会を」
頭を下げたベリルに、反発する者も当然いた。どうせ読み書き計算もろくにできない人間ばかりだろうと鼻で笑う者もいたが、背に腹は変えられない。とにかく使える人材が欲しかった。
シルヴェステルの名のもとに集まってきた人間たちを見て、ベリルは目を細めた。やる気に満ちた表情、この国を変えてやるという気概。
その中には、ジョゼフもいた。シルヴェステルを狙い、結果としてベリルを刺した彼は、当の被害者であるベリルの弁護もあり、恩赦を受けた。ベリルに許されても、彼は自分自身を許せない。ナーガに惚れ、意のままに操られた自分を、不甲斐なく思っている。
ジョゼフは志願して、きつい肉体労働から頭脳労働まで、できることすべてをこなした。
人間族は教育もまともに受けていないし、身体だって丈夫ではない。だが彼らは、言われたことを勤勉にこなす実直さを持っていた。それから自分で考える頭も。慣習に則って行われていた煩雑な作業を、効率化していくのに長けていた。
竜人たちもその姿を見て、きちんと働かなければ居場所を奪われると、焦りだした。もちろんそれでも人間族を貶める者はいなくならなかったが、シルヴェステルが睨みを利かせると、縮こまった。
竜人と人間族が協力して、城の復興が進んだ。シルヴェステルもベリルも、自分のできること、やらなければならないことを懸命にこなした。それこそ、愛し合う暇もないほどに。
「シルヴィ。行きたいところがあります」
改まってベリルが懇願してきたのは、ようやく一息つける段階になったときだった。現場の指揮に関しては、宰相がいれば事足りるだろう。同伴するカミーユの都合を尋ねてみようとしたが、ベリルに止められた。
「二人きりで」
思い詰めた表情から、彼が決して浮ついた気持ちで言い出したのではないということを察知する。シルヴェステルは一も二もなく頷いた。ミッテラン父子に許可だけは取るぞ、と言ったうえで、行き先を問う。
ベリルの目は、遠くを見通すように細められた。
「あの日、あなたが行こうとしていた遺跡へ……」
>53話
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