<<はじめから読む!
<21話
結果的には、光希は海棠高校に合格できなかった。電話で話した限りだが、光希は残念がるよりも恭弥や千尋に対して申し訳ないという気持ちが勝っているようだった。
『あんなに五十嵐さんや御幸さんにお世話になって、やっくんたちにも迷惑かけたのに……』
「いいよ。気にしてない。それよりも、次は本命の公立高校入試でしょ? 気持ち切り替えて。大丈夫。海棠の入試よりも難しい問題なんて出ないから」
そう励ますと、ようやく次に向けて頑張ろうという気になったのか、最初と比べて元気な声で、「じゃあ、また」と光希は言った。
公立高校の入試の日の朝も、恭弥は応援に行った。今度は譲を連れずに、一人でだ。絶対合格できるから、と光希の手を握った。
それから悶々とした日々を送って、とうとう三月一日、光希の明るい声での電話があり、公立高校への合格を恭弥は祝うことができたのだった。
その後、冬休みに帰省しなかった分、恭弥は実家に強制送還を食らった。毎日のように連絡は取り合っていたが、光希と顔を合わせることはなかった。その間に光希は中学校の卒業式を迎え、校門前で撮った写真が送られてきた。
会いたい。光希は電話口でそう言った。会いたいです、御幸さんに、と。会って、きちんとした返事をもらいたいのだ、と。
恭弥は「いいよ」と言った。ちょうど一週間後に東京へと戻るので、その日に部屋に来るように伝えた。
光希の口ぶりだと、彼は振られると覚悟している様子だった。だから恭弥はこう言った。
「泊まりの用意、しておいでよ」
どういうこと、と言う声を聞きながら、通話を切った。意味がわからなければ、兄にでも、神崎にでも尋ねるだろう。告白の返事をするという日のお泊まりなんて、答えは一つしかない。彼らは知っているはずだ。
一生分の勇気を使い果たしたような気がして、恭弥はふぅ、と溜息をついてベッドに身体を沈めた。
それから一週間はあっという間で、恭弥は東京へと戻ってきた。まだ一年しか暮らしていない街だが、駅に着いた瞬間、ほっとした。
荷物を片付けている途中で、約束していた時間に、光希がやってきた。恭弥に言われたとおり、肩からは泊まりの荷物を下げている。
「どうぞ」
「おじゃまします」
光希の動作は堅かった。十一月から何度も通った部屋なのに、初めて部屋に上がるかのようだった。目的が異なるから当然とも言えるが、それにしても意識しすぎだ。
これお土産、と取り出したのは生八つ橋だ。
わぁ、と喜んで受け取る表情や仕草は、いつもどおりの光希である。
「チョコレート味だ! 美味しそう!」
妙に意識されるのも困るが、忘れ去られるのはもっと困る。「家に持って帰って家族と食べなよ」と言うと、光希は素直に頷いた。
さて、と前置きをして話を始める。光希はいつの間にか正座をしていた。
「まずは、高校合格、そして中学校卒業おめでとう」
「ん……」
一瞬晴れやかな表情を浮かべた光希だったが、すぐに急降下する。どうした、と問うと、ごめんなさい、と返ってくる。
「ごめんなさい? 何を謝る必要があるんだ?」
「その、俺……海棠落ちちゃったから。受かったらっていう条件守れなかったから……好きって言っても、無駄、ですよね?」
恭弥の様子を伺う卑屈な視線は、単純に不愉快だった。お前は僕にずっと憧れの眼差しを送っていればいいんだよ、と、恭弥は思う。
「一度の失敗で諦めるような男をがいい男だと思う?」
そう言うと、弾かれたように光希は顔を上げ、目を見開いた。そう、その顔がいい。唇が自然とにやついた。
「もう一回言ってごらん。僕のことが、なんだって?」
それは明らかな、誘惑だ。光希の頬に手を当てて、微笑む。
最初に告白されたときは、こんな子供に惚れるわけないと思っていた。多少想い人に似ているというのを言い訳に、八つ当たりの気持ちも多少あって、無理難題を押し付けた。
なんとか条件をクリアしようとして一生懸命になっている姿が、千尋に恋をしている自分と重なった。けれど恭弥と光希の決定的に違う点は、恭弥は臆病者だったということだ。
告白する勇気を持たない自分は、光希よりも子供で、みっともなかった。
変質者に襲われたときも、助けてくれたのは光希だ。自分のことを愛してくれるヒーローは、一人しかいない。
「俺は、御幸さんのことが好きです。誰よりも、一番、あなたのことが好きです」
ゆっくりと語られる言葉のひとつひとつが、恭弥の心に浸透していく。一度目を閉じて、その響きを繰り返し味わってから、恭弥は笑った。
「僕も、光希のことが好きだよ」
一瞬の空白の後、衝撃が恭弥の身体を襲った。大型犬にアタックされたみたいだった。ぎゅう、ときつくハグしてくる光希の頭をぽんぽんと叩いた。
「長いこと待たせて、ごめん」
しばらくそのまま光希は恭弥にひっついていたが、やがてがばり、と顔を上げた。
「あの、御幸さん、その……キス、しても、いい?」
初々しいお願いに、恭弥は声を上げて笑った。すると光希は途端にむっとして、唇を突き出す。
「御幸さんだって、キスしたことないでしょ?」
六年も片思いをしていて、誰とも付き合ったことがない恭弥にとっても、ファーストキスになる。
「まぁ確かにそうだけど」
言いながら、恭弥は尖ったままの光希の唇にちょこん、と触れた。すぐに離すと、光希の顔が真っ赤になる。
「大人だから、このくらいはできるよ」
「……ずるい」
時折大人びた顔で恭弥に気を遣う光希だが、今は年相応の、眉を下げた情けない表情をしていた。どっちの光希も好きだなぁ、と思うあたり、恭弥は自分が本当に、この子に恋をしているのだと思い知った。
>23話
コメント