偽りの魔法は愛にとける(16)

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15話

「ほしメンタルクリニック……院長?」

 名刺とママの顔を交互に見る。この人は、本当に自分の知るママなのか? こんなに若く見えるのに、院長? というか、そもそも医者?

 信じられない思いで、つい不躾な視線を向けてしまう海老沢の疑いを、真っ向から受け止めたママ……星は、最初から説明をしてくれる。

「こう見えても本業は精神科医なんだよ」

「はぁ」

 そう言われると、ママは聞き上手だ。いろんな客から人生相談を受けていた。海老沢も、彼と話すと心が楽になった。精神科医のスキルなのだろう。

 病院の経営が上手くいっている星は完全に自分の趣味で「ステラ」を開店させた。自分自身を解放し、ストレスを発散できるバー。ゲイもヘテロも関係なく利用してほしいから、と、あえてゲイバーとは名乗っていない。ただ、実情はほとんどゲイバーになってしまっているのだが。

 星が精神科医なのはわかった。だが、自分たちとの関係が、いまいちピンと来ない。海老沢は話の続きを促した。

「催眠療法って、知ってる?」

 要するに、催眠術。テレビ番組で、「手が机から離れない」だとか、「レモンが甘くておいしいものに感じる」だとかやっている奴だ。

 海老沢の認識を、星は「まぁあれとは本当は違うんだけど……今回ばかりは、似たようなもん」と苦々しい表情で認める。隣の優の視線は、冷ややかなものである。

「星先生が、誰かに催眠術をかけた、ということですか?」

 優が海老沢のことを好きだと言ってくれたのは、催眠術で操られたせいなのか? それならそれで、諦めがつく。優の不機嫌な顔も、納得がいく。

 心を操られて、オッサンと恋人になっていたなんて、嫌に決まっている。

「ママ、早く」

 優の催促に、星は不意に、海老沢の至近距離で指をパチン、と鳴らした。驚いた海老沢は、目をぱちぱち瞬かせる。

「これで解けた……いいかい、エビさん。魔法なんて、この世にはないんだよ」

 魔法がない? でもママは、海老沢が二十歳の姿になれるように魔法のキャンディーをくれて……あ。

 海老沢は、未練から持ち歩いていたキャンディーの瓶を取り出した。ラスト二個だけ残っている飴を、口に放り込む。今回ばかりはゆっくり舐めている暇もなく、バリバリと噛み砕いた。

 それからママに鏡を見せてもらう。映るのは、正真正銘、三十八歳の男だった。

 間抜けな顔をさらした海老沢に、やれやれといった風情で、二人が肩の力を抜いた。

「じゃあ、僕はずっとママの催眠術にかかっていたんですか……!?」

 酒で酩酊しているときに、海老沢は星の言葉を聞いた。飴を一つ舐めると、二十歳の姿に戻れる。効果は三時間……。酔っていたので、何度も繰り返されても、特におかしいとは思わなかった。

「嘘……だって、優くんは、僕を見ても気づかなかったじゃないか」

 海老沢が催眠状態にあったのはいい。問題は、優までもが、海老沢=二十歳と認識していたことだ。

 そもそもなぜ、星は海老沢に催眠術をかけようと思ったのか。

 優が申し訳なさそうな表情を浮かべて、口を開きかける。だが、俺が先だと言わんばかりに、星が一方的に喋る。

「それは、俺がおせっかいだからだ」

「おせっかい?」

「そう。二人が年齢を気にしていたから、つい、ね」

 つい、で勝手に催眠術をかけられたのだから、ここは怒ってしかるべきなのだろう。たぶん。でも、星の催眠によって海老沢は、優との距離を縮めることができたのだから、あまり強くは出られない。

「ママ」

 余計なことを言うな。

 元雇い主に対するものとは思えない低い声だ。優は「俺がちゃんと説明するから」と、主張する。

「ま、俺からひとつ言えるのは、だ。性別も年も、どうにもならないことで一人で悩むのは、やめた方がいいってことだな」

 恋愛関係の悩みの答えはいつだって、自分の中にはない。人と人との間にあるのだから。

 星は哲学めいたことを言って、「あとは若い二人で……」と、ばたばた出ていった。まだ仕事が終わっていないのだろう。若いお二人で、とは言うが、若いのはお一人だけだ。海老沢はそうツッコミたかった。

「……ママから連絡があったんです」

 二人きりになった店で、優は語り始める。

 催眠術によって、自分が若返ったと思い込んだ海老沢が、おそらく向かうだろうから、それに合わせろ、と。

「協力してほしいとはお願いしていたけど、まさか催眠術をかけるとは思ってなかったんです。ずっと黙っていて、ごめんなさい」

 果たして、本当に現れた海老沢は「ステラ」で会ったときとは違っていた。仕事帰りのくたびれたスーツではなくて、野暮ったくはあったが、Tシャツとデニムというラフな服装だった。「初めまして」という顔で挨拶したので、確信した。

「お客さんとして来るものだと思ってたから、昼に現れたときには、びっくりしたよ」

「……だって、昼に舐めてしまったから。せっかくの時間が、勿体ないじゃないか」

 ばつの悪い顔をする海老沢に、優は喉の奥で笑った。馬鹿にしたものではない。たぶん、可愛げがあると思ってくれている。

「あのね、エビさん」

 どうも敬語とタメ口が入り混じる優の口調に、翻弄されてしまう。自分がいい大人のエビさんなのか、純で素直なエビくんなのか、わからなくなる。

 ああ、でももう、どちらでもいいのか。姿が変わった(と思い込んだ)ところで、表出したのは本当の自分だ。年齢という枷を外してみれば、ただひたすらに優を恋い慕うだけの自分がいた。

「はい」

 開き直れば、不思議と落ち着いた。優がこれから言うセリフは、なんとなくだけど、想像がつく。彼の目を見ていれば、わかる。

 もしかして、まだ僕は魔法にかかっているのかもしれない。優の周りの空気が、キラキラしている。

「俺は、エビさんのことが、好きです。エビさんも、俺のことが好きだよね?」

 聞きようによっては、ずいぶんと傲慢な言葉だが、己の感情はだだ漏れだったのだ。今更「別に」は通用しない。

 小さく頷く海老沢に、優は満足そうに――そしてどこかほっとしたように、微笑みかける。

「エビさん、俺が結構露骨にアピールしていたのに、気づかなかったでしょう?」

「え?」

 海老沢は「ステラ」でのやり取りを思い出すが、特に該当するものがない。熟考モードに入りかけた海老沢に呼びかけ、優はストップさせる。

「例えば、コーヒーとか」

「……あぁ!」

 脳裏に浮かんだのは、先日「ステラ」でママから聞いたばかりの話だった。

「コーヒーカップ、優くんがわざわざ選んでくれたんだよね?」

 安物ですけどね、と彼は言った。そんなの関係ないと、海老沢は反論する。

「それに、この店をオープンしたのだって、あなたに通ってもらいたかったからですよ」

 酒に弱い海老沢は、コーヒーが好きだ。飲み屋の「ステラ」で注文してしまうほど。もっと美味しいコーヒーを、自分の手で淹れてあげたい。それが「街のふくろう」の開店動機のひとつだと聞かされて、顔が熱くなる。

 そうだったら嬉しいな、と妄想していたのが、まさか真実だとは思わないじゃないか。

「でも全然、俺のアプローチが通じないから。ガキだと恋愛対象にはならないのかな、と思っていて」

「そ、そんなことないよ!」

 単純に気づかなかっただけだ。何なら年下好みだし。

 慌てて海老沢は主張する。内心で、年齢差に悩んでいたのは自分だけではなかったことに、ホッとした。

「ぼ、僕だってアプローチ……」

「え? してた?」

「……あんまり」

 せいぜいがカウンターの中の優に話しかけるくらいで、それも常連客の域を脱していなかった気がする。

 年齢が近い分、どうしてもママの方が話しやすかったし……。

 海老沢と優の視線が絡み合い、どちらからともなく噴き出した。ひとしきり笑ったあとで、海老沢は年上らしく、切り出した。

「今日は月曜日だし、店は休みだよね?」

 三時間という縛りは、もうない。

17話

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