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<16話
空しく耳元で響いたコール音は、やがて留守番電話サービスへと切り替わった。メッセージを残したところで何にもならない、とウサオは通話を切る。
大学へはなんの問題もなく、辿りついた。幸いにしてウサオが黙って俯いていたら何も話しかけてこない寡黙なタクシー運転手だった。だがウサオは、大学という施設を舐めていた。
タクシーの運転手に「どこの門につけます?」と言われた時点で、ウサオは目が点になった。大学というのはそんなに入口がたくさんあるのか、と。わからずに黙っていると、運転手は「……じゃあ、正門につけますね」とおそらくメインである門の前でウサオを下ろした。
あまりの大きさ、広さにウサオは口をあんぐりと開けた。それはそれは間抜けな表情で。まず建物がたくさんある。一つ一つの形状が違い、大きさも違う。俊が所属しているのは文学部の大学院だということだが、その研究室がどこにあるのかも見当がつかない。
たくさんの学生が歩いている。ウサオがこの中から俊を、あるいは高山を発見することは極めて困難だった。どうしたものか、と途方に暮れて、大学のシンボルにもなっているらしい時計塔を呆然と眺めていたウサオに、声をかけてきた学生がいた。
ぽん、と肩を叩かれて警戒に身体を跳ねさせたウサオに、「あ、驚かせたか。ごめん」とその学生は軽く謝罪をした。大げさな反応になってしまったことを恥じるのと、ウサギ耳だとばれるのを恐れてウサオは小さな声で「いや……」と言う。
「なんかきょろきょろしてるから声をかけてみたんだけど……どうしたんだ?」
受験予定の高校生かなんかにしては、俺と同い年くらいっぽいから不思議に思ってさぁ、と明るく言ってのけた男は、親切心から困っている様子のウサオに声をかけたのだ。ウサオはほっとして、実は、と切り出す。
「同居人がレポートを忘れて行って、届けようと思ったんだけど、電話、出なくて……」
どこにいるのかわからないんだ、というウサオの声には覇気がなく頼りない。哀れに思ったのか、青年は、
「俺、結構顔広いから知り合いかもしれない。誰だ?」
「えっと、三船俊って言って……高山っていう先生でもいいんだけど。たぶんこれ、その先生の授業のレポートだと思うんで」
目の前の男の顔色が一瞬変わったような気がした。ウサオは小さく首を傾げる。
「知り合い?」
そう尋ねると、男はふっと唇を緩めた。
「ああ……よし、俺が三船か高山先生探すの手伝ってやるよ」
外に出て久しぶりに他人と出会い、優しくされたためにウサオの警戒心は薄れていた。拉致されたり刑事に詰問されて嫌な気持ちをしたりしたけれど、この世の中も捨てたものではないのだなぁ、と嬉しかった。
「よろしくお願いします」
あまり深く礼をするとフードが脱げてしまう可能性があるので、ウサオは軽く身体を傾けるに留めた。
「ああ、よろしく。えっと」
なんて呼べばいい? と男に尋ねられて、うっ、とウサオは詰まった。偽名など咄嗟に思いつかない。そのため今の呼び名を素直に名乗った。
「あだ名は、ウサオって言うんだ。俊もそう呼んでる。……ウサギ、好きなんで」
とってつけたような理由で本名を名乗らずにいることに成功したウサオは、「それで、あなたは?」と自分を助けてくれる男にも尋ねた。
「あなたの名前は?」
男はにっこりと邪気のない顔で笑った。
「俺? 錦慎二。三船と同じ心理学科なんだ」
なんてラッキーなんだろう。ウサオはそう自分の幸運に感謝した。
>18話
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