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<3話
再び説明にやってきた医師の顔は、真っ青であった。これから処刑でもされる罪人のような表情に、何か予期せぬ事態が起きたことを悟る。叱責する口調になってしまいそうなシルヴェステルを制し、代わりにカミーユが、医師に問いかける。
「彼の様子は?」
「それが……」
歯切れ悪く告げられた言葉を、シルヴェステルは上手く飲み込むことができなかった。
「記憶、喪失……」
目を覚ました青年は、何も覚えていなかった。事故に遭ったその瞬間だけではない。これまでの人生も、何もかも。自分がどこの誰で、どうやって生きていたのか、医師の質問には何も答えられなかった。
「言葉を話すことができたのは、幸運でした」
シルヴェステルには、言い訳にしか聞こえなかった。
それのどこが幸いなんだ。
医師の襟首を掴み上げそうになった。幼なじみでもあり、主人の気持ちを一番よく理解しているカミーユが先に行動しなければ、実行していたに違いない。
カミーユはシルヴェステルの前に立ちはだかり、医師へと矢継ぎ早に質問を投げかけた。
無傷ではなかったのか。頭を打っていたのか。治す方法はあるのか。
医師は滝のように汗を流しながら、カミーユの問いに答えるも、声は震え、しどろもどろである。
曰く、外傷は見当たらない。肉体だけではない。頭もだ。へこんだり腫れていたりする箇所はどこにもなく、外から確認したところ、骨も陥没していない。
頭を強打した際の記憶の混乱でないのならば、もうひとつ考えられるのは、精神的に強いダメージを受けたときに、自分の心を守るために記憶を手放したという可能性である。
ただ、こちらも理由がわからない以上、周囲がどうすることもできない。とにかく時間が解決してくれるのを待つほかない。
医師の説明を、簡潔にまとめると、そういうことだった。専門家であってもどうすることもできないのが、歯がゆい。
「記憶障害以外は、特に痛みを訴えることもなく、いたって健康体のようです」
この医師の言うことを本当に信じていいものか。迷っていたシルヴェステルは即座に、「彼に会わせてくれ」と言った。懇願のつもりであったが、医師は命令だと受け取る。カミーユとシルヴェステル、それから館の主人であるクーリエ子爵を引き連れ、客間へと戻った。
数度ノックをすると、「はい」と応える声があった。ひどく掠れた、小さな声だった。元気いっぱいとはいえない。医師を睨もうとしたが、カミーユが前に立った。
青年は、身体を起こしていた。広いベッドの上で、巨躯の男たちに見下ろされ、落ち着かない様子である。しかし、そこにあるのは恐怖ではない。好奇心の光を宿す彼の目は、人間族にしては珍しい、明るく透き通った緑色だった。
「初めまして。私はエドモン・クーリエ。ここはセーラフィール竜王国東部、ヌヴェール領にある私の屋敷だ」
この中では、最も人当たりのいい笑顔の持ち主であるクーリエが、代表して声をかける。緊張した面持ちで会釈した青年は、言葉を聞き取ることはできているものの、固有名詞についてはまったく聞き覚えがないという。
「国の名も知らないということは、こちらにいらっしゃる方がどなたなのかも、想像がつかないということだね?」
クーリエの言葉とともに、シルヴェステルは、ずいと一歩前に進み出た。ほとんど関わったことのない人間族だが、彼らは竜王であると知らずとも、姿を遠目に見ただけで恐怖するのが常であった。言葉を失い、震えるのは序の口、失神者が多数出る始末。
しかし、青年はなんとも思っていない様子で、首を傾げている。
>5話
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