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<9-1話
「全治、一か月……」
学園祭実行委員の責任者としてミカドとみどり、それから当事者として敏之が一緒に病院に着いてきた。怪我人の靖男以上に、敏之の方が狼狽えていた。
「ごめん。俺が手を離したりなんかしたから」
何度も本気の謝罪をしてくる敏之は、時代が時代なら切腹でもするんじゃないかという悲壮な表情を浮かべていた。
敏之がわざとやったんじゃないということはわかっている。こいつは本当におっちょこちょいなだけなのだ。
「もういいよ。お前に悪気はないってのはわかってるし……代わりにお前、看板作るのちゃんとやれよ」
「……うん、絶対やる。やりとげる。頑張る」
ぐす、と鼻を啜る敏之は本気で泣きが入っている。二人を見てミカドは「いやあ、男の友情って最高だな!」という顔でうんうん頷いていたが、みどりはもっと冷静だった。
「看板はいいとして、神崎。あんたもうひとつ大事なこと忘れてないか?」
あああ、と靖男は悲鳴をあげた。そうだ。
「司会! 女装コン!」
「ご名答……全治一か月か。ギプスがぎりぎり取れたとしても、まぁ、無理だわね」
「ごめん、姉御……」
「あんたのせいじゃないでしょ。謝らないの。……でもあんたのサイズで用意しちゃってるから、同じくらいの身長の代理ってなると……」
なかなか一六五センチの男はいない。どうしたものか、とうなっていると、途端に病室の外がうるさくなった。廊下を疾走している音がする。ガラガラッ、という音がして、現れたのは背の高い男。
「神崎っ! 怪我したって……!」
なんでここに来たんだ、という顔をすると敏之が「俺。俺が呼んだ。お前ら、仲良かったからさ」と言った。余計なことしやがって、とは思わなかった。
会いたかったのだ、自分も。千尋が心配してくれているのがわかって、靖男の胸に暖かいものが満ちていく。
「大丈夫? 痛い?」
「ん。大丈夫。骨折しただけだから」
「骨折! 大変だよ!」
恐る恐るギプスに触れた千尋の目からは、ぽろりと涙が溢れた。えっ、という顔をしたのはミカドで、脇腹をどついたのはみどりだ。それから彼女は敏之とミカドの腕を引っ掴んで、病室を出て行った。靖男はそれを見ながら、「さすが姉御」と内心で親指を立てていた。
「ご、ごめん……」
「いいよ。ほら、ティッシュ」
ベッドサイドのボックスティッシュを取ろうとしたが、千尋に止められた。千尋は鼻をかんで、それからまた、「ごめん」と謝った。
「それは、何に対してだ?」
優しくなだめるように靖男は尋ねた。
「忘れてって言ったのに……諦めようと思ったのに、神崎が怪我したって聞いたら、もう、いてもたってもいられなくて」
忘れられるはずなんてなかった。初恋以上に、恋い焦がれているのだと、思い知らされた。千尋は泣きながら、「君にとっては迷惑極まりないだろうけど」と言う。
「迷惑……じゃねぇよ」
「え」
驚いて千尋は顔を上げるが、靖男自身もまた、驚いている。何を言っているんだ、俺は。けれど意識せずに出てきた言葉は、きっと一番、本心に近い。
「まだちゃんとした返事はできないけど、俺、お前に好かれてるのは、悪い気しないわ」
「っ」
わかりやすく千尋の顔が赤くなった。こういう顔は、とても可愛いと思う。
「もうちょい考えさせてもらってもいい?」
ブンブンと首を縦に振る千尋は子供っぽい。
「問答無用で振られると思ってたから……考えてくれるだけで、すごく嬉しい」
微笑む千尋の唇は、けれど、少し震えていた。千尋はいつもの癖で、靖男が「やっぱりホモとか無理だわ」と返事をするだろうと予測しているのだ。本当に馬鹿な奴だ。
ノックの音がして、千尋は目元をごしごしと擦って泣き顔をごまかした。靖男が返事をすると、仕事を早退した母が入ってきた。
「ちょっと靖男。あんた、大丈夫なの?」
「ん。全治一か月。今日は大事を取って入院だって」
もう、と母は呆れた様子だったが、その実とても心配してくれているのだと知っているから、靖男は「ごめん」と素直に謝った。
千尋は邪魔してはいけない、とそそくさと帰り支度をしていた。母にぺこり、と礼をして、それから靖男に手を振る。
「あ、五十嵐」
靖男は千尋を呼び止めた。思うがままに喋る。
「返事、期待してもらってていいから」
千尋の方をまともに見られなかった。戸口に千尋は呆然と立ち尽くしていて、それから小さな声で、「……はい」とだけ言った。
母には迎えはいらない、入院費だけ今日のうちに払っておいて、と言っておいたのだが、千尋からの「明日退院するとき、行ってもいいかな?」という控えめなメールには「いいよ」と退院する予定の時刻を告げた。ありがとう、という返信の最後についていた笑顔の絵文字を見て、和む。
ギプスでがちがちに腕は固定されていた。翌日退院して、病院の外に出ると千尋が待っていた。腕を出す千尋の言わんとしていることを理解して、靖男は持っていた荷物を彼に渡した。
「大変だよね。一か月もその状態だと」
「うーん。三週間くらいでギプス取って包帯で固定するだけになるみたいだけど」
「俺に手伝えることがあったら、なんでもするよ」
「なんでも?」
それは、靖男が待っていた答えだった。
「……うん」
靖男はにっこりと笑った。
「五十嵐にしか頼めない仕事が、あるんだなぁ、これが」
「なんだか、嫌な予感がするんだけど」
千尋の笑顔は引きつっている。まさに怪我の功名と言えるだろう。靖男は思った。
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