<<<はじめから読む!
<<4話のはじめから
<【37】
もうちょっといけば暴力、というレベルの八つ当たりからどうにか逃げだし、僕は教室を出た。
遠藤は、まだ戻ってきていなかった。本当に先生に捕まっている可能性はある。何せ彼女は、断れないタイプだ。
あちこちをうろうろしていると、図書室に着いた。夏休みの開館中とはいえ、文化祭準備に忙しくしている生徒がほとんどなので、あまり利用はされていないだろう。
なんとなく予兆がして、僕は静かに扉を開けた。
案の定、生徒はいない。三年生も受験勉強そっちのけで、最後の文化祭に向けて全力を出している。なにごともゆるい、うちの学校らしい。
図書室の奥に進んでいく。なぜか息を殺しつつ。ホラーサスペンスの世界なら、絶対にナニかがひそんでいる。
そして僕の予想どおり、高い本棚の陰に隠れている姿を発見した。
「遠藤さん」
近づこうとしたが、彼女の顔を見て立ち止まった。頬が涙に濡れている。女の子の涙は、やっぱり苦手だ。僕のせいじゃないと明らかであっても、目の前で泣かれると、責任を感じてしまう。
遠藤は、僕の存在に気づくと、涙を拭った。水滴が腕に移る。水の玉は肌の上で弾け、床へと伝い落ちていく。
慰めの言葉を吐かなければいけない気がする。僕は目を泳がせつつ、
「遠藤さんが悪いんじゃないよ。あのふたりが変なところで張り合って、迷惑かけてるだけなんだから」
いやはや、仲間内での恋愛沙汰は厄介である。美希のいかに、男あしらいが上手かったこと。しかし、同じことを遠藤に望むのは酷だ。
ぐすん、と鼻を鳴らし、目を赤くした遠藤が僕を見上げる。その顔が可哀想で、同情した僕は、余計なことを口にしてしまった。
「……それに、あいつら別に、遠藤さんのことが本気で好きってわけじゃないし」
遠藤の表情が変わった。一応は仲良くしていた連中のことを悪く言うのは、気を悪くしたのかと、肩に力が入る。
だが、ぽかんとした少し間抜けな顔は、怒りとはかけ離れている。
「なに?」
「ううん……切原くん、意外とちゃんと見てるんだなって思って」
当然だ。最近の僕は、特に心の機微には敏感なのだ。人を見る目がないと、糸屋では災いに巻き込まれる可能性がある。
さすがにそんな個人的事情を話すわけにはいかないので、曖昧な顔で笑う。笑顔はあまり得意じゃない。遠藤は首を傾げたが、なんとなくごまかされてくれた。
「今の状況をどうにかするには、どちらかを選ばなきゃダメだと思うんだけど……」
彼女の言い分に、僕は首を傾げるほかなかった。どうしてそうなる。
「え? なんであいつらから選ばなきゃなんないの?」
遠藤はいい子だ。あんな暴力的で嫌な奴らにはもったいない。両方を選ぶのは不誠実だが、両方を振るという選択肢は、別に問題はない。
「男は他にもいるでしょ」
僕とか、と軽口を叩いて遠藤を元気づけられるキャラではないことが、悔やまれる。
遠藤は僕の話を聞いて、今度こそ大きく口を開けた。二者択一だと思っていたら、最後に隠しコマンドがあった、みたいな感じだ。
「好きな人、いないの? いや、あいつらのうちのどっちかが好きなら、それでいいんだけどさ」
少し突っ込んで聞いてしまったのは、失敗だった。
遠藤がみるみるうちに、元気をなくしていく。第三の男という選択肢もダメだったんだろうか。
受け答えの様子から、好きな人はいるらしい。意中の相手がいても、青山と渡瀬の究極の二択から逃げ出せないあたり、なんらかの事情があるのかもしれない。
ぎゅっと握った拳が震えているのを見て、僕は「あの」と、声をかけた。顔を上げた遠藤の目は、誰でもいいから助けてくれと、縋りついてくる。
「糸屋……『えん』っていう店が、商店街にあるんだけどさ」
僕は糸屋のまじないについて、遠藤に紹介した。
もちろん、十分に気をつけるように言った。ラッキーなことが起きても、それはすべて糸が運命をたぐり寄せたのではない。偶然もあるし、おまじないを行ったことで勇気ややる気に満ちあふれて行動した結果であることがほとんどなのだ。
「だから、もしも遠藤が本当に好きな人がいて、行動したいと思うなら、そういうのの力を借りてみるのも、いいんじゃないかな。あるいは逆に、誰とも一緒になりたくない、ひとりになって考えたいっていうなら、白い糸を選ぶのも、アリだと思うよ」
しばらく彼女は、僕の提案について考えていた。
遠藤なら、大丈夫だろう。妄信したり、悪用したりしない。か弱くてはっきりと意思表示をするのは苦手かもしれないが、あの三人に囲まれながらも卑屈にならなかったのは、彼女の心が強いからだ。
かすかに頷いたのを見届けて、僕は「時間をずらして帰ろう」と、先に図書室を出たのだった。
>【39】
コメント