ごえんのお返しでございます【39】

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ごえんのお返しでございます

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<<4話のはじめから

【38】

 一週間ぶりの店は、相変わらずだった。埃っぽくなったりもないので、僕の存在意義がいよいよ危うい。徹底して掃除をしてやろう、と箒を手に取る。

 文化祭の準備で学校に行く以外にも、大輔に連行されて買い物に付き合わされた。海に行くのに、水着がない、浮き輪がない! と喚く彼の運転する車で、少し離れたところにあるショッピングモールへ行った。

 水着を新調するとか、女子みたいな思考回路だ。

 ああ、でも糸子の前でもじもじしている姿は、恋愛に慣れていない乙女のようなものだから、頭のつくりが女子寄りでも、おかしくはないのか。

 派手なオレンジの水着を買った大輔に、なぜか「今日の礼だ」と言って買ってもらったグリーンの水着を着る機会は、はたしてあるのだろうか。

 掃除に勤しみながら、大輔と渚のデートについてぼんやりと考えていると、「紡くん」と、名前を呼ばれた。

 一瞬、反応が遅れた。今、この場には僕と糸子のふたりしかいない。彼女が僕の名前を呼ぶわけない。一度呼ばれたときはフルネーム、呼び捨てだったし。親しげに、「紡くん」なんて。そんな思い込みから、空耳だと思った。

「! はい?」

 けれど実際は、糸子が僕の名前を呼んでいた。

「この間、君に紹介されたという子が、赤い糸を買いにきたわ」

 遠藤だ。そうか。勇気を出して、青山たちを振り、自分の好きな人へアプローチする覚悟を決めたのだ。

 僕は他人事ながら、自分のことみたいに嬉しくなった。

 床を掃くリズムもさっさかさっさか、リズミカルになる。昔の漫画で、いつも箒で外を掃いているキャラクターがいたな。あんな感じで。

「そりゃ、商売繁盛してよかったですね」

 ちょっとだけ、糸子が顔をしかめた。表情が崩れるところなんて、めったに見られるものではない。いつも鉄面皮……だと、無表情か睨みつけている感じがする。少し違うな。微笑みを浮かべた能面しか見たことがなかったので、思わず見つめてしまった。

「どうかしら……」

「どうかしら、って」

「あの子の縁は、少し……あなたに似ている気がするわ」

 不吉なことを言う彼女に、僕も眉をひそめてしまった。

 僕に似ている? 黒い執着の糸にまとわりつかれているらしい、この僕に?

 確かに、あのふたりのしつこさに、彼女は閉口していた。あれが黒い糸になり、遠藤をぎちぎちに縛っているのだろうか。

 彼らは遠藤と縁づくことを狙って、この店に来た。よかれと思って遠藤にも紹介したけれど、三人全員が糸屋ここに集ったことに、何か意味が生じてしまったら……。

 背筋に冷たいものが走って、ぶるりと震えた。

 いいや、意味なんてない。事件に遭遇したのが、僕の近くにいた人間ばかりだということも、たまたまだ。

 たまたま……だよな?

 僕には見えない黒い糸が、すべてを引き寄せているとしたら。

 篤久の、美希や美空の顔、遠藤に青山に渡瀬、それから大輔や渚の顔が思い浮かび、頭の中でぐるぐると回る。最初のきっかけは篤久からの、「糸屋って知ってる?」という言葉だった、はずだ。

 けれどそれすら、糸に導かれた運命だったとしたら、僕は立ち向かうことができるのか。

 掃除をする手も止めてしまって、僕は糸子の方をじっと見た。思案しているようで、何も考えていない。

そんな表情の彼女は、もはや僕のことを気に留めていない。意味深なことを告げるだけ告げて、無視をするとか、つくづくこのひとは、人間ではない。

 大きく溜息をついて、とりあえず仕事を再開しようとしたところで、扉が開いた。いらっしゃいませ、と振り向こうとした僕の身体は、容赦なく吹き飛ばされる。

 何が起きたのか、わからなかった。いきなり自動車に突っ込まれたのかと思った。頬が痛い。じんじんと痺れる。しかも、倒れた際にあちこちをぶつけたため、起き上がるのも困難だった。

 どうにかこうにか顔を上げると、そこには青山と渡瀬がいた。その表情は憤怒に満ちている。これまでも目の敵にされてきたけれど、これほどの憎悪を向けられるなにかをした記憶はない。

「てめぇのせいだろ」

 何が? 

 そう言いたくても、言えなかった。物理的に。

 顔が腫れて、口が動かしづらい。口の中に、血の味がする。完全なる傷害罪に、さすがの糸子も立ち上がり、ふたりを止めようと、僕との間に入ってくれた。

 こういうとき、人間離れした美貌の女は強い。

「いきなり何をするんですか」

 淡々と問い詰めてくる糸子のことを、最初はうっとうしいと思っていた彼らは、ぽかんとした顔で見つめていた。

 一度、会計時に顔を合わせているはずだが、こんな店にいるところを見られちゃ困ると急ぐあまり、よく見ていなかったのだろう。

 こんな美女、初めてみた。そう呆けている。

 聖というよりはどちらかといえば魔だが、それでも人知を超えた美しさは、人の言葉や行動を、根こそぎ奪っていく。

「お客様。この店の従業員が、何かなさいましたか」

 はっきりと再び尋ねた糸子に、彼らはハッとして、口々に理由を述べた。青山の方が、怒りに駆られていても整然と説明をしてくれそうなものだが、声が大きいのは渡瀬だ。

「遠藤が、駆け落ちした!」

「かけ、おち……?」

 図書室での彼女の様子を思い出す。友人のうちからひとりを選ばなくてもいいと言ったとき、好きな人はいるのかと問うたとき、遠藤は、難しい恋に悩んでいるという顔をしていた。

 無理矢理渡瀬たちのどちらかと付き合っても、遠藤の幸せはない。本心からそう思う。ほんのわずかな一歩を踏み出す勇気のために、赤い糸のことを教えたのは、確かに僕だ。

 だが、駆け落ちとなると話が飛躍しすぎている。江戸や明治の封建的な家制度のもとで育ったわけじゃあるまいし、家族から反対されていると言っても、根気よく説得すればいい。赤い糸はそのためのお守りだ。

 にわかには信じがたい事実に、目を白黒させていると、「とぼけんなよ。お前がこの店のこと、あいつに教えたんだろうが!」と、渡瀬に襟首を捕まれて、強制的に立たせられた。

「そ、そうだけど、でも僕は、何も知らない!」

 彼女が悩んでいることは知っていたけれど、突っ込んだ恋バナをしたわけではない。どんな相手が好きで、どんな訳アリなのか、知るよしもない。

 猛烈に感情を爆発させる相手が身近にいると、幾分か冷静になるというやつだろう。青山は興奮でずれた眼鏡の位置をスマートに直すと、渡瀬を御しながら、僕を睨みつける。

「本当に、知らないのか?」

「知らない。ただ、君たちに迷惑していることは知ってたし、好きな人がいるらしいってことには気づいたから、前に進む勇気が湧いてくるようにって、ここのことを教えただけだ」

 買いに来たのは彼女の自由意志で、僕は関与していない。青山はまだ何かを聞きたそうにしているけれど、僕の方が山ほど疑問を抱えている。遮って、自分なりの大声を張り上げた。

「それで! 本当に駆け落ち、なのか?」

 ただの失踪じゃないのか。それでも大問題だけど。

 彼女が自分自身の生活に嫌になって逃げ出したのを、「振られた。他に男がいるに違いない」と、彼らが勝手に駆け落ち扱いしている可能性も考えられた。

 青山は首を横に振る。

 ひとりで姿を消したわけじゃない、と。

「書き置きがあった……お前の名前も、出てくる」

「僕の?」

 そんな奴に読ませんな!

 という渡瀬の怒声に怯むことなく、突き出された便箋を、僕は手にした。上部に「No.2」とわざわざ書かれている。一枚目はないようだが、そちらは親に向けて書いたものだから、持ってこられなかったのだろう。

 僕はドキドキと嫌なリズムを刻む心臓を、必死に言い聞かせながら、遠藤が残した手紙に目を落とした。

 最後まで読むまでもなく、湧き上がってきたのは、凄まじい嫌悪感。思わず、手紙を落としてしまった。途中で青山が拾ってくれたので、床に落ちることはなかった。

 手が震える。身を貫くのは恐怖でもある。

 人は、自分が理解できないものを恐れる。僕だって、糸屋の――僕にまつわる一連の負の流れを怖いと思うし、止めたいと考えている。

 遠藤の手紙に書かれている事実は、それともまた違った。明らかに生理的な嫌悪でしかない。フィクションの世界であれば、ありうる事態かもしれないが、この世界は僕にとっては、完全なるリアルなのだ。

 彼女が一緒に駆け落ちした相手は、実の兄だった。

『お兄ちゃん、過保護だから』

 実際、ふたりで夜に歩いているところに突撃されて、驚いた。

 彼女の言葉どおり、過保護なシスコン兄が、妹の身辺に目を配っているのだと思っていた。

 遠藤も、学校でも家でも大変だな、と、そういう感想を抱いていた。

 待てよ。

 あの日彼女は、「嫌いになるからね」と、兄を脅した。

 あれを冗談でもなんでもなく、彼が真に受けてショックを受けていたのは、そういうことだったのか。

 同じ両親から生まれ、分け隔てなく育てられた兄妹が、恋人同士と同じように愛し合う。

 遠藤は手紙の中で、青山や渡瀬にきちんと対応ができなかったことや、美希に対して自分の秘密を言えなかったこと――美空の存在を隠していた彼女には、「お互い様か」と書いていた――を、悔やんでいた。

 そして最後は、こう結ばれていた。

『切原くん。勇気をくれるおまじないを、ありがとう。私は、私の愛する人と一緒に、幸せになります。だから、心配しないで』

 あの頼りない彼女のどこに、こんな行動力が眠っていたのだろう。

 ……僕、か?

 僕が、目覚めさせてしまったのか?

 一つ屋根の下で暮らしていたということは、両親にふたりの関係は露見していなかったはず。バレていたら、兄は家から追い出されている。

 それがなかったということは、家でも外でも、細心の注意を払っていたにちがいない。どころか、お互いの気持ちはうっすらと知りつつも、どちらも何も言わない、両片思いの状態で、一線は超えていなかったのではないか。

 危うい均衡で成り立っていた遠藤家。僕が遠藤に、「勇気を出せるといいな」なんてかっこつけたことを言って、糸屋のことを紹介しなければ。

 いいや、糸そのものが悪いんじゃない。遠藤が白い糸を選ぶ未来だってあったはずなのだ。

 すべては、お互いに執着する兄妹きょうだいが選んだ道なのだ。

 呆然とする僕の耳に、電話のコール音が響いた。のろのろとスマートフォンを取り出す。

「はい」

 姉だった。

 僕が今、どんな精神状況なのか知らずにかけているのだから仕方ないが、かんに障るテンションの高い声が僕の名前を呼ぶ。

 紡、最近連絡しなくてごめんねぇ。

 キーン、という耳鳴りがして、僕は沈黙する。姉は気にした様子もない。

 ねぇ紡、きょうだいはやっぱり、仲良くしないとダメだって、この間言ったよね? だからさ……私と、仲良くしよう?

 私の部屋で。

 その瞬間、僕はスマホを叩き落としていた。同時に、気持ち悪さを堪えきれずに、胃の中のものをすべてリバースする。

「うわっ」

 床に散らばる吐瀉物を見て、渡瀬は一歩逃げた。青山も酸っぱい臭いに不愉快そうにしている。

「大丈夫……大丈夫だから」

 糸子だけが、珍しく優しく、僕の背中を擦った。

 吐くものがなくても、胃液だけをゲーゲーと、喉を焼きながら吐き出す僕の背中を、ずっと。

【40】

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