業火を刻めよ(15)

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火 ライト文芸

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14話

 翌日、ヒカルは手洗いして、黒田に借りて慣れない手つきでアイロンがけまでしたハンカチを手に、桃子と出会った場所の周辺を、うろうろしていた。無論、一人ではなくて、スポーツバッグの中から顔を出したウサギのぬいぐるみのナビゲートによって、無事に辿り着いた。

 セーラー服に学生鞄を下げていた。この道は通学路で、黒田の話だと部活動もやっていないそうだから、毎日変わらぬ時間に通りかかる可能性が高い。

 最初、ヒカルはハンカチを持って、そのまま自宅に行こうとした。すぐにエリーに罵られた。ただ制止すればいいだけの話なのに、彼はこういう機会を逃さない。それでいて、指示は的確で無駄がないのだから、嫌になる。

「お前は馬鹿か。いや、馬鹿だったな。嫌というほどわかっていたが、これほどまでとは。お前は相手のことを知っているが、相手は知らないんだ。そんな相手に、教えてもいないのに自宅に来られたらどうする? 怪しまれて、一発でアウトだろうが。そのくらいのことは考えられるように、脳みそを鍛えてやったつもりだったが、まだまだだったな」

 淀みなく、口を挟む隙もなく罵声を浴びせられて、ヒカルは困り果てた。じゃあどうしろっていうんだ、とぐちぐち言うと、さらにおまけの「馬鹿」をいただくはめになる。

 エリーの言ったとおりに、出会った場所にやってきたヒカルは、注意深く辺りを見渡した。見逃したら、また馬鹿にされる。それはぜひとも避けたい。ウサギのぬいぐるみに内蔵された、高性能センサーとやらよりも先に、桃子の姿を捉えなければ。

 ヒカルはエリーが聞いたら「くだらん」と一蹴されるような動機で、目を皿にして道行く女子高生たちを一人一人確認した。昨日出会ったのは、確かこのくらいの時間だった。

 桃子が姿を現したのは、それから一時間後だった。規則正しい生活を送っているという話だったが、今日のところは例外なのだろうか。ずいぶんと遅かった。

 あの、と声をかけるのを、躊躇した。とぼとぼと重い足を引きずりながら歩いている少女の横顔は、泣いているように見えた。

 実際には、夕日に照らされた桃子の顔には涙は浮かんでいなかったが、物憂げな表情には変わりない。

「どうした。早く声をかけろ。ストーカーとして通報されたら困るぞ」

 ぼそぼそとスポーツバッグの中からうるさいウサギの頭を押さえつけ、ファスナーを締めた。もごもごと何事かを叫んでいたが、もう聞こえない。

 明らかに傷つき、それでも前へ進もうとしている桃子に、どう声をかけたものか。

 その辺の微妙な人間心理という奴を、冷血野郎であるエリーは理解してくれない。説明したところで、「いいから早く」とせかされるのはわかり切ったことで、ヒカルは最初から、エリー抜きで桃子に接触を試みることにした。

「あ、あの」

 自分でもびっくりするくらい、小さな声だった。いつもエリーに呆れられるほど、元気だけは自信があるのに。

 桃子はゆっくりと歩いている。よく見ると、彼女は足を引きずっている。足首を庇っている桃子を、ハラハラとヒカルは見守った。

 彼女は大きく息を吸って、長く吐き出した。それから毅然と前を見つめると、猛然と歩き始めた。足が痛まないようにと気は遣っているものの、ずるずるべたべたした引きずり歩きではなく、地面を踏みしめるような、力強い歩みだった。

 ヒカルは思わず、見惚れていた。ただ可愛らしいだけの少女だと思っていた。ゆっくりとだが、黙々と足を運ぶ桃子には、迷いがない。写真で見たとき、それから昨日初めて出会ったときと、また違う印象をヒカルは抱いた。

「あの!」

 先ほどよりも大きな声で、後ろからヒカルは、彼女を呼び止めた。

 途端に、桃子の足を進めていた緊張の糸がふつりと切れた。え、と振り返った彼女は、バランスを崩す。怪我をした足を庇った結果、どさりと音を立てて、転んだ。

「だ、大丈夫?」

 ヒカルは慌てて桃子に駆け寄った。彼女は唸り声を上げながら、身体を起こす。

「大丈夫です」

 答える桃子の膝は、擦りむいて赤く血が滲んでいる。彼女の隣にしゃがみこんだはいいが、ヒカルはうろたえた。さらに怪我をさせてしまった。

 この場にいるのが自分ではなく、エリーだったらよかったのに。奴は腐っても医者だ。落ち着いて対応できただろう。

 素人のヒカルでは、付着した細かい砂を取り除くことくらいしかできない。

(ハンカチ、は)

 自分の物を探すが、あいにくと忘れていた。所持しているのは、昨日彼女に借りた、可愛い色のハンカチだけ。

 逡巡の後に、ヒカルは、「本当はこれ、返そうと思って洗濯してきたんだけど」と断って、桜色のハンカチを、彼女の傷口に触れさせた。

 それが自分のハンカチだということを認め、桃子はヒカルの顔を、まじまじと見つめた。昨日自分が助けた男だということに、気がついたようだった。

「別に、返さなくても大丈夫だったのに……」

 砂粒が大量にこびりつき、なかなか取れない。

「刺繍してあるし、きれいなものだから。大切なものなんだろ?」

 乾いたハンカチではきりがなかった。ヒカルは「ちょっと待ってて」と言い、近くにあったコンビニへ向かって、ミネラルウォーターと消毒液を購入して戻った。桃子はその場に座り込んだままだった。

 ボトルを傾けて、ハンカチを濡らす。それから丁寧に、膝の傷を拭っていく。

 桃子の息遣いを、ヒカルは敏感に感じ取っていた。痛みを覚えて、息を詰める彼女に、心の中で「ごめん」と謝罪をしつつも、手を止めなかった。

 最後に「沁みるかも」と警告し、消毒液をかけた。

「あ。絆創膏買ってくるの忘れた」

 爪が甘い。エリーだったら、もっとスマートだっただろう。

 再びコンビニに行こうとしたヒカルを、桃子は制止した。持っていた鞄の中からポーチを取り出した。

「絆創膏ならありますから」

 広範囲に広がる傷に、絆創膏は三枚必要だった。桃子は全部自分で貼り終えると、ゆっくりと立ち上がった。両足が痛むために、ふらついた彼女を、ヒカルはさっと支えた。

「ありがとうございました」

「あ、いや。こっちこそ昨日は、ありがとう」

「でも私の方が、お世話になっちゃって」

「いやいや」

 お互いにペコペコしているのが、おかしい。ふっ、と笑うと、桃子も笑っていた。

 笑うともっと可愛い。声を上げるけれど、下品なものではない。品がよく、明朗だ。寒いのに、心がぽっと温かくなる笑顔だ。

「あ~……あの、桃子、さん?」

「えっ、なんで名前……」

 名前が刺繍してあったから。

 そう答えると、桃子は納得して頷いた。

「そうです。辰巳桃子。高校一年生です。あなたは?」

「奥沢光琉。春から大学生で、最近この街にきたんだ」

 嘘は最低限、春から大学生という点のみだ。時代を遡って、この街にやってきたのは本当のことだ。

 ヒカルは桃子の手を取った。

「家まで送っていくよ」

 彼女はすっと顔を強張らせた。気づかなかったふりをして、ヒカルは彼女の手をやや強く握る。

「別に、大丈夫です」

 声音は硬い。人懐こい笑みを浮かべて、

「わかった。家までは行かない。でも、送らせてほしい」

 とヒカルが譲歩すると、桃子は渋々ながら、頷いた。

16話

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