業火を刻めよ(30)

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火 ライト文芸

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29話

 儀式の時刻まで、あと十分。

 ヒカルは黒田が入手した信者の正装に着替え、儀式の行われる部屋にいた。地下二階に相当する場所は、広い一つの部屋になっており、出家信者たちと、熱心な在家信者たちで隙間なく、埋め尽くされていた。

 誰一人喋らずに、祭壇をじっと見つめている。沈黙しているのに、熱気だけは、まるで目に見えるように充満している。そんな中で、隣にいる黒田と話すわけにもいかず、視線をちらちらと向けるのが、精一杯だった。

 黒田はヒカルの緊張を気遣って、背中に手を当てて、数回叩いた。それから、ヒカルの抱えたスポーツバッグを叩く。大丈夫、というのが伝わってきて、ヒカルは大きく呼吸して、前を見据えた。

 祭壇には、幾何学模様が彫り込まれている。四角や丸に三角形という単純な図形の繰り返しは、ずっと見続けていると、吸い込まれそうになって、目が回る。周囲には百合の花が活けられ、さらには薪が組み立てられて、キャンプファイヤーでもするのかと思われた。

 ……するのだろう。龍神之業の施設は、儀式の直後に全焼したという話だった。桃子とともに死のうという人間は、そのまま炎の中で龍神に祈りを捧げ、他の人間にも祝福を授けようという人間は、外へ脱出して、殺戮の限りを尽くす。

 どちらにも巻き込まれてはいけない。自分たちはここから無事に逃げ出して、未来へ帰るのだ。ヒカルは横目で、脱出経路を探った。

 あと三分という中途半端な時間に、鐘が鳴った。同時に、頭の禿げた男が現れた。信者たちは鼻息も荒く、爆発的な拍手で出迎える。教祖の辰巳理王だ。

 ヒカルは周囲に倣い拍手をしながらも、男を睨みつける。憎しみを込めて、射殺してやろうというつもりだった。勿論、ヒカルには時間を超える以上の超能力は備わっていない。

 理王が両手を大きく広げると、拍手はぴたりと止まった。一糸乱れぬ動きは、信者たちの心の闇を感じさせ、ヒカルはぞっとする。今か今かと、敬愛する教祖の言葉を待っているのだ。

「待たせたな、皆の者」

 声が震えている。もっと威厳のあるものかと思ったが、決してそんなことはない。元々は土着信仰の宗教家に過ぎない。彼の本質は、小心者だ。こんな大きな会場で、たくさんの信者の前で話す機会は、そうそうないのだろう。

「近年の異常気象、大地震その他の天災は、世の民が道を逸れてしまったことに対する、龍神様のお怒りのせいである。まずは、怒りを鎮めるべく祈ろう。心を込めて」

 必死に暗記してきたのか、説教はところどころでつっかえた。信者たちは、教祖のミスを意に介することもなく、手を擦り合わせ、ぶつぶつと祈りの言葉を唱える。念仏ではないその珍妙な響きを聞きながら、ヒカルは目立たないように、動作だけ真似をした。

 あと一分というところで、再び大きく鐘が鳴った。うねった祈りの声は、ぴたりと止む。期待に息を呑み、見守っている群衆に対し、ヒカルの頭の芯は冷え切っている。肝心な時に、目を瞑ってしまわないように。ただそれだけを、自分に言い聞かせていた。

「龍神様をお慰めするのは、清らかな乙女である」

 その言葉とともに、桃子が入室する。一礼をしてから祭壇に上がり、正座をした。教祖である父が、彼女の前に立つ。邪魔だ、とヒカルは舌打ちをしそうになって、噛み殺した。

 理王は杖状の祭器をゆっくりと、桃子の頭上で振った。最後の清めなのか、それとも永遠の別れの挨拶だったのか。しゃらん、しゃらんと祭器に取りつけられた鈴が、悲しげな音を立てた。

 理王は祭壇の後ろに回った。桃子が生贄としてその命を散らす様を、信者に見せつけたいのだろう。

 桃子はすっと顔を上げた。静かな無表情だった。視線だけを動かして、桃子は部屋の最後列近くに陣取ったヒカルの姿を見つける。目が合ったのをヒカルも感じ取り、じっと視線を絡ませた。

 ゴーン……ゴーン……。

 十二時の鐘が、鳴り始める。シンデレラと違って、逃げ出すわけにはいかない。桃子は十二回、鐘が鳴り終わるまでに、自害しなければならない。

(やめてくれ)

 やはり、そう叫びそうになった。しなかったのは、黒田が手首を、ぐっと強く掴んできたからだった。

 桃子は美しい飾りのついた、小刀を手にした。鞘から抜いた刃が、きらりと光る。ぐっと首に押し当てて、桃子は手に力を入れる。

 口がぱくぱくと動く。それは、ヒカルに対してあてられたメッセージ。

『ありがとう。だいすき』

 十二回目の鐘が鳴り始めると同時に、桃子は微笑んで、自らの首を掻き切った。

31話

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