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<47話
「カルノー夫人」
自分たちが知り合いであることが悟られるとまずいので、クレマンは小声で呼びかけた。持参した布を細く畳み、クレマンは彼女の視界を閉ざす。途端に観客からの非難の声が上がった。男の野太い声であったので、やはり名誉を守るためというのは建前に過ぎず、美女の首が斬り落とされる様に興奮を覚える人間ばかりだったのだと、クレマンは幻滅した。
彼女の手を取り、移動する。そろそろと彼女は跪く。頭を差し出す直前に、彼女はしっかりとクレマンの方に顔を向けた。お互いに見えていないはずなのに、クレマンはマノンの強い眼差しを全身に感じた。
「先にあちらに行っているけれど、あなたはそんなにすぐに来たら、だめよ」
慈愛の笑みに、クレマンは瞬間、今の状況を忘れそうになった。
別に自分は、死にたいなどと思ったことはない。反論しようとするが、舌が貼りついて動かなかった。身じろぎひとつせずに、断頭台に頭を差し出すマノンを見下ろすことしかできなかった。
死刑の失敗を防ぐために、マノンの髪の毛は短く切られている。クレマンは鞘から剣を抜いた。しっかりと研いである。
せめて、苦しませずに。母のようにもがき苦しむ様は、見たくない。
白い首筋にぎりぎり刃をあてず、どこを断ち切るか測る。一度でばっさりと斬り落とすためには、技術が必要だ。クレマンはまだ、父のようにはうまくできない。深呼吸をして、集中する。あれだけ騒がしかった群衆の声は、不思議と聞こえなくなった。
クレマンは剣を大きく振りかぶる。日の光が当たり、鋭く乱反射した。
掛け声はなかった。自分が死んだことすら気づかせずに、命を刈り取るのが理想だ。限界まで高く上げ、腕の動きに剣の重さを加える。
ごりり、と骨を断つ音がした。いつもならあまりの凄絶さに目を閉じ、力を緩めてしまうのだが、今日はしっかりと目を開け、彼女の絶命を見届けたかった。噴き出した血を浴びて、ようやく音が戻ってくる。悲鳴、あるいは歓声は、主演のマノンに向けられている。
クレマンは彼女の首を拾い上げた。そっと布を外す。もちろん、死に顔を拝みたい人間たちには見せない。
マノンの目は閉ざされていた。彫像のように整っていた。ここが人前でなかったのならば、泣き喚き、首を掻き抱き、頬に口づけをしていたかもしれない。
医者として救うことができず、処刑人として命を奪ってしまった、患者であり協力者であり、友人の死を想い、クレマンは天を見上げた。
>49話
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