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<<29話
思ったより早く帰宅した涼を、母は訝しんだ。
「香貴くん、元気だった?」
そう問われても、「さあ」としか答えられない。買い物も見舞いの花も、彼の恋人に預けてきた。その後どうなったかは知らない。食糧は香貴のもとに届いただろうが、花はもしかしたら、彼女が持ち去ったかもしれない。
「さあ、って」
涼があまりにもぼんやりしているので、母はそれ以上の追及をしなかった。
数日経っても、香貴からは何も言ってこない。ということは、あの女はやはり、すべて自分の手柄にしたのだろう。腹立たしいことだが、逃げ去った意気地なしは自分だ。託された側が、それをどう使おうと自由である。
直接香貴から振られたわけではない分、余計に失恋の憂鬱が長引いている。前の彼女と別れたときだって、ここまでへこむことはなかった。幼なじみに愚痴ったり慰められたりして、酒をしこたま飲んで忘れられたくらいだ。
結婚まで考えていたのに、本気じゃなかったということか。それはそれで、元カノに申し訳なくてへこむ。
「それじゃあ涼、お母さん行ってくるから」
「あれ? 今日なんだっけ?」
店での仕事を半自動的にこなして日々を過ごしているため、母が店を早じまいした理由がわからずに首を傾げた。
「もう。前から言ってあったでしょ」
母は多趣味で、行動力の塊である。普通に店に立ち業務をこなしてからでも、出かける体力もある。今日は近所の友人と一緒にクラシック音楽のコンサートらしい。
「ご飯、ちゃんと食べなさいよ」
「わーってるよ。子供じゃないんだから」
とはいえ、香貴のことを考えていたら食いっぱぐれるなんてことはじゅうぶんありうる話だが。
母はすみれ色のストールを羽織り、出かけていった。これは、ハンドクリームとともに香貴から贈られたものである。顔色が明るく見える、と、母は大層お気に入りだ。
手を振って見送り、腹をポリポリと掻く。はあ、と溜息をついて、涼は自室へ引っ込んだ。夕飯にはまだ早いし、今日も朝早かった。大きなあくびをひとつ。
とりあえず、寝よう。涼は布団にダイブして、そのまま目を閉じた。
>31話
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