次に歌うなら君へのラブソングを(1)

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次に歌うなら君へのラブソングを

 電話の向こうの声が、一瞬静まった後に、キンキンと甲高く響いた。

『じゃあ先生は、うちの子がずる休みをしたって言いたいんですか!?』

 だからそうだって言ってんだろ。

 反射的にそう受け答えしたくなる気持ちをぐっと堪えて、つかさは下手に出る。

「いえ、お母様。そういうわけではございません。ただ、最近鈴庵りあんくんの顔を拝見していないのは、事実でして」

 欠席連絡を受けた事務員・沢村さわむらは、司が入社する前からこの教室に勤務しているベテランだ。肝っ玉母ちゃんを地でいく、実生活でも高校生の息子ふたりの母親である彼女曰く、「空咳なんかしてたけど、あれは絶対仮病ですよ!」とのことだが、司も間違いないと思う。

 病気や怪我、家庭の事情による欠席は保護者からの連絡をお願いしているが、徹底することはできない。子どもの言うことを信用できないのか! というクレームを処理するのは、かなり面倒なのだ。

 塾というのはつくづく特殊な商売だと、電話に向かってペコペコと謝り、母親の言い分を聞きながら思う。

 親と子は、一心同体ではない。ひとつの契約にふたりの顧客がいて、それぞれに思惑が違う。親子間ですりあわせをしてくれればいいのだが、中学生ともなると、そうはいかない。

『とにかく! これ以上うちの子にあれこれ言うんだったら、やめさせますからね!』

 出た、伝家の宝刀。

 うんざりするほど聞いてきた。クレーム電話の最後は、だいたい退塾宣言で終わる。案の定、ぶっつりと切られ、苦笑いとともに受話器を置いた。

 会社としてはまずいだろうが、司個人としては、「どうぞどうぞ」である。

 経験上、こういう家庭の生徒は、なんとか引き留めたところで、さらに大きな問題を引き起こして結局やめていく。それなら、傷の浅いうちに去ってもらった方がいい。

蓬田よもぎだ先生。すいません、代わってもらっちゃって」

 アルバイトの大学生講師が頭を下げた。本来は、授業担当の彼が電話をするべきだったが、荷が重かった。

 何度かヒステリーを起こされた経験が、ややトラウマになっており、青い顔で受話器を握っていることに気づいた司が代わりを引き受けた。

「いや。これが俺の仕事だから。それより報告はもう終わったんだから、早く帰りなさい」

 ひらひらと手を振り、講師たちが帰っていくのを見送ってから、司は大きく伸びをした。時刻はすでに、十時半を回っている。いったいあの母親は、何分喋っていたのだか。

「今日も終電コース確定だな」

 ひとりきりの教室で、ぽつんと呟く。首を横に倒すと、大きな音がした。

 アルバイトであれば、基本的には授業をはじめ、生徒に関わる業務さえこなしていればいい。しかし司のように社員、それも教室長という立場ともなれば、業務は山のようにある。生徒がいるときは、彼らを優先しなければならない。必然的に、業後の事務作業が増える。

鈴木すずき鈴庵……っと」

 生徒情報をまとめたファイルを開き、生徒の名前を検索して飛ぶ。偏見を持つべきではないが、退塾予備軍として赤字で強調した生徒はほぼ全員、いわゆるキラキラネームというやつだ。

 司は彼の情報のところに、「五月連続欠席。母からクレームあり」と書き加え、既知の情報にも目を通す。

「YouTuberねぇ……」

 最新の面談の内容によれば、鈴庵少年は将来、動画配信の広告収入で生活するのが夢だという。スマホ一台あれば、簡単に誰でも動画を撮影、編集し、それをすぐさまネット上にアップできる時代である。実際、小学生配信者が賛否両論巻き起こしている昨今、そういう夢を抱くのは、まぁわかる。

 しかし、「俺は動画で食ってくから、勉強なんてしなくていい!」と、高校に進学しないとまで言い出すのは、真に受けすぎではないか。

 生徒が志望校に合格し、ひいては将来の夢を叶えられるように尽力しているのが、むなしくなってしまう。

 右手の小指で力一杯エンターキーを押したその瞬間、電話が鳴った。

 まだ何か話したりなかったか? と、びくびくしつつディスプレイを見れば、近隣の教室からの着信で、ホッとした。

「はい。蓬田です」

『蓬田先生? 湧田わくただけど』

 電話向こうの相手が名乗った瞬間、自然と背筋が伸びた。近隣の五教室をまとめているブロック長の湧田は、司にとっては新人時代の研修担当であり、当時から目をかけてもらっている。気のいい人だが、仕事もできる男で、尊敬している。

『今、時間大丈夫?』

「はい」

 鈴木家との電話のときには、ペンをくるくる、頬杖をついてのの通話だった司は、メモの準備も万端に、湧田の話に耳を傾けた。

『春期講習で谷川たにがわ先生、やめたじゃない? 来月から新しい先生入るから。中途で入った人』

「ほんとですか!」

 塾業界の体質はブラックだ。終電で帰ることがほとんどだし、テスト対策で休日も潰れることが多い。時には理不尽なクレームを受けることだってある。実際、司の同期の七割は、すでに会社を去っている。

 三月末で退職した谷川は、三年目になるところだった。その時期が一番迷うし辛いということを身をもって知っている司は、彼の変化に心を砕いていたが、結局谷川は限界を迎えてしまった。

 責任感の強い彼は、中途半端なところで投げ出さなければならない自身を責め、泣きながら司に何度も謝罪をした。そんな男を引き留めることなど到底できず、見送った。

 これまでは、他の教室の社員が入れ替わり立ち替わり、司の業務をサポートしに来てくれていたが、年上のベテラン社員が多く、やりにくさを感じていたところだ。

 わかりやすくテンションを上げる司とは対照的に、よい報せを先に述べた湧田の声は潜められ、悪い報せを続ける。

『で、その新人っていうのがちょっと訳ありでねえ……』

「は?」

 そんなオプションいらないんすけど。

 心の声を正確に読み取った湧田に宥められつつ、司は来月配属される新人の情報を、ひとまず飲み込んだ。

2話

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