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<9話
朝六時に鳴り出したスマホのアラームを、開始三秒で止めることに成功した。寝室は静かで、司はホッとする。
台所を借りて、朝食を作った。起きたときに少しでも食べてもらえればいい。
ハムと卵、レタスのサンドウィッチに野菜をたっぷり入れたコンソメスープ。簡単なものだが、胃にあまり負担にならず、栄養もばっちりだ。
ちょっと悩んで、念のため、スープを温める目安をメモに書き込んだ。キッチンの様子から、料理ができるとは到底思えなかった。
ネクタイは外したまま、ジャケットだけ羽織る。窓の外は梅雨の晴れ間、数日ぶりにすっきりと晴れている。
司はそっと寝室に顔を出した。布団が上下する規則正しいリズムが、まだ彼が眠っていることを示している。
少しは回復しただろうか。ベッドに近づき、覗き込む。
安らかな寝顔。まだ隈は消えないが、顔色はだいぶよくなったことにホッとする。
司はそのまま、花房の顔を観察した。目を閉じている場面など、教室ではほとんどない。物珍しく、司は目が離せなかった。
人の印象を決定づけるのは、目なのだということがよくわかる。花房は背も高いし、顔立ちも整っているが、目つきは鋭い。無表情でいると、「怒ってる?」「怖い」と言われがちな風貌である。
その瞳が閉ざされた今、彼は穏やかで、まるで彫像のようだと思った。アーティストが魂込めて刻み込んだかのような陰影が、セクシーだ。
「やっぱ、好みの顔してんだよなあ……」
うっかり漏れた独り言とほぼ同時に、花房が「うう、ん」と、唸り声を上げた。ぎゅっと力が入ったかと思うと、次の瞬間、ばちっと開いた彼の目がしっかりとかち合う。
聞かれた!?
司は会社の人間に、自分がゲイだとカミングアウトしたことはないし、今後も一切明かすつもりはない。同性にまつわる「好みの顔」を恋愛対象ではなく、理想の顔と解釈してくれればいいのだが……。
「お、おはよう」
ひとまず挨拶をすると、花房は顔を擦り、しぱしぱと瞬きをしながら「おはよう、ございます……?」と、不明瞭な言葉を紡いだ。
完全に寝起き、まだ覚醒しきっていないことを悟った司は、内心でガッツポーズする。
よかった。たぶん、俺の独り言は聞いていない。
「あれ、蓬田先生、なんで……?」
「終電逃したから勝手にソファ借りた。寝てていいぞ。あー、あと朝飯も作ったから、あっためて食べろよ」
早口に一息に言って、司は花房の反応を待たずに、彼のマンションを出た。
朝日が目に眩しい。
もう二度と、この部屋に訪れることはないんだろうな。
そう思うと名残惜しく、外に出た司は、今出てきた建物を振り返った。
>11話
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