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<58話
盆地の暑さも、県内有数の地価を誇る(らしい)高原地にやってくると、少し和らいだ。日差しは変わらず厳しいが、何よりも風が爽やかなのはいいことである。暑さでへばっていた山本の顔色も、少しずつよくなってきている。
呉井家の別荘は、さすがに立派だった。事前に管理人に通達をしていたので、掃除もパーフェクトである。塵ひとつ落ちていない。
居間に足を踏み入れた瞬間、柏木が「暖炉だ!」とはしゃいだ。外観から立派な煙突が見えていたから想像はしていたけれど、まさか本当にあるとは。もちろん真夏ゆえに、火は焚かれていない。
「映画でしか見たことない!」
日本の一般庶民の家じゃ、サンタさんがどこから入ればいいのか……なんてことに頭を悩ませなければならないけれど、ここなら余裕で住居に侵入できるだろう。あれ? でも冬ってことは、暖炉に火、入ってるんじゃ? サンタクロースは火を無効化する能力者なの?
「使ってるところ見たかったなあ」
柏木の残念そうな呟きを拾い、瑞樹先輩はのほほんと、「いいじゃない。また冬に来れば」と言った。
「いいの?」
日向家ではなく呉井家の別荘なので、柏木は呉井さんに遠慮しがちに問う。呉井さんはちょっと困った顔をしていた。受け入れてあげたい。でもそれはできない。そんな顔だ。
なぜだろう。瑞樹先輩じゃなくて、自分の家が所持している別荘にみんなを招いたのと、矛盾しているんじゃないだろうか。
「……ええ。構いませんわ」
妙な間を挟んで、呉井さんはにこやかに頷いた。柏木は何も気がつかずに、「約束だからね!」と無邪気に喜んでいるが……俺は他の連中の顔を見渡す。
山本は合宿地の選定のときに居合わせていなかったから、あまり気にならない様子だった。無論、快く即答すると考えていたようで、自分の予想と違う反応の呉井さんに疑問を抱いた表情を見せていたが、ごく薄いものだ。
大事なのは、仙川と瑞樹先輩。彼らは呉井さんのことをよく知る人々だから、彼女の言動の違和感を、どう受け止めているのかが気になった。
仙川は、なぜか辛そうな顔をしている。ぎゅ、と目を閉じて、込み上げる何かを堪えているように、俺には見えた。どうしてそんな顔をするのだろうか。そこまで真剣に考えるほどのことなのか。
そういえば、仙川は最近、俺に対しての風当たりを弱めている。殺気の籠った目で睨まれたり、言葉による攻撃に飽き足らず、直接手を出されることも多かったわけだが、最近とんとご無沙汰だ。
……いや、俺は断じてMじゃない。仙川に対して特別な感情も持っていない。なんというかそう、何もしてこない彼女に、調子が狂うだけだ。すぐに暴力に訴えないのはいいことだ。うん。
感情が駄々洩れの仙川に対して、瑞樹先輩はさっぱりわからなかった。俺は彼を見ていると、微笑みには種類があることを考えるようになった。
相手を慈しみ、愛おしいと思うときの微笑。曖昧に本心を濁すときの微笑。どちらも微笑みには変わりないが、瑞樹先輩が今、唇に湛えているのは、そのどちらでもない。
彼とやり取りをするうちに初めて知った微笑みは、無感動といわんばかりの無表情だった。
どうして彼は、呉井さんのことを大切に思っているはずなのに、こんな顔をするんだろう。
俺が訝しんでいることを、ずいぶん前から瑞樹先輩は知っている。それでいて、さらっと無視してくる。今も、
「さて、各自部屋に荷物を置いたら、再集合してくれるかな?」
と、口火を切った。
>60話
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