断頭台の友よ(65)

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十字架 ライト文芸

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64話

「君」

 突っ立っているだけだった医師見習いの青年に、クレマンは言った。

「他の職員に、聞いてきてくれないか」

 昨夜、赤ん坊の夜泣きが聞こえたかどうか。それから、夜中に目が覚めることがあったか。普段の寝つきと比べて何か不審な点はなかったか。

 どうして僕が、と唇を尖らせかけた青年はしかし、少女を宥めるのに手が塞がっているクレマンを見て、仕方なく出て行った。

 思う存分に泣き叫んだ少女は疲れ、また寝入ってしまった。深い眠りについたのを見届けて、クレマンは部屋を出る。ちょうど戻ってきた青年の集めてきた情報を聞けば、案の定、誰も夜泣きを聞いていない。

「院長以外はぐっすり寝ていたそうで。夜遅くまで仕事をしていた院長も、聞いていないと……あの、それが何か」

「おかしいと思わないか?」

 乳飲み子は、空腹でもおしめが濡れた感触が気持ち悪くても、とにかく何か気に入らないことがあればすぐに泣く。明るかろうが暗かろうが、時間は関係ない。それがなかった。そして、ほとんどの人間が泥のように眠っていた。孤児院全体が、眠りの魔法にかけられたように。

 クレマンは台所へと急ぐ。疑問の答えを知りたくて、青年も後をついてくる。そこで働く通いの飯炊き女に、昨日の夕食について尋ねたクレマンは、確信を得た。

「野菜のミルク煮を、院長先生は食べなかった」

 クレマンの推理に、女は驚いた。

「どうしておわかりに?」

「夜泣きをしないで眠り続ける赤ん坊に、寝つきがよすぎる大人たち。魔法なんてものはない。眠り薬が使われたに違いない」

 大人はともかく、赤ん坊が口にできるものは、限られている。母乳を自発的に分けてくれる母親など、そう多くはない。貴族には乳母がいるが、孤児院に入れられた赤ん坊は、牛や山羊の乳を飲んで育つ。たまには果物の汁なども口に含むかもしれないが、果物は乳と比べ、高級品だ。

 大慌てで昨日の料理の残りや使用したミルクを差し出した女に礼を言い、クレマンは鼻を近づけた。薬によっては、独特な香りがする。調理されたものは、残念ながら他の食材や調味料の匂いでわからなくなっていたが、保存されていたミルクの方は、微かに違和感を覚えた。

「僕には両方、どこもおかしいところはないと思いますけど」

 にわか助手をいやいやながら受け入れた青年は、嗅ぎ比べて首を捻った。あまり薬草類に通じていないと、わからないかもしれない。だが、クレマンは専門家である。鼻には自信がある。念のために一口飲んでみた。

「えっ、大丈夫なんですか?」

「平気だ。僕はあまり、薬の類いが効かない」

 舌に感じたのは、独特な苦みと酸味である。口から鼻に抜けてくる微かな柑橘のような香りは、どこかで嗅いだ覚えがあった。どこだろう。思い出せそうで、思い出せない。

「やはりこのミルクには、眠り薬が混ぜられている」

 調理されれば、独特の風味は調味料のせいだと判断される程度のものだ。そして赤ん坊は、変な味がしようとも、口がきけない。

「ということは、ミルク煮を食べなかった院長先生が、まさか……」

 短絡的な推理に、クレマンは首を横に振る。これが本当に首斬り鬼の犯行であるとして、自分だけに疑いが向けられるような愚かなことはしない。これまで捜査の手を振り切った犯人にしては、間抜けすぎる。

「ミルクを一口でも摂ると、腹が痛くなる人間も多いんだ。院長はおそらく、そういう体質だろう」

 職員が、院長はいつも乳製品を避けていることを補足したので、院長犯人説は薄くなった。

 それにしても、この眠り薬に感じる既視感はいったいなんだろう。

 高等法院に戻り、報告書を作成している間も、さらには帰宅してからも、クレマンの舌の上にはいつまでも、ミルクの味が残っていた。

66話

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