星読人とあらがう姫君(28)

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ライト文芸

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27話

 母が死んだあの夏の日。使用人や女房達のすすり泣く声が、遠くの空まで響いていた。母は家じゅうから愛されていた。それに比べて露子は、誰からも顧みられない。

 屋敷の片隅で泣いていた露子を見つけてくれたのは、年上の少年だった。だぁれ、と舌足らずな声で尋ねた露子に、

『この家の奥方様の病気を治すために呼ばれた、陰陽師だ』

 そう答えた少年の姿は、今目の前にいる烏の姿と相違なかった。すべてを思い出した。 

 お母様が死ぬなんて、嫌。信じない。お父様がお母様のことを大切にしていないのも、信じない。

 幼い言葉は支離滅裂だったが、そのとき露子はそう言った。

「あなたは『俺を信じろ』と言ったわね。そのときの目と、今のあなたの目、まるきり同じよ」

 露子はあの頃から背も伸び、美しくとはいかなかったが、健やかに成長した。けれど烏は、記憶の中にある少年の姿と変わらない。十数年の時の経過は、彼にだけ訪れていないようだった。

「最初にあなたが持ってきた橘の花。あれは、昔出会ったことを思い出してほしいってことだったんでしょう?」

 昔の人、の解釈の問題だ。過去の恋人ではなくて、昔一度だけ会ったことのある自分自身を思い出してほしい、と、直接自分が俊尚だとは言えない烏の考えた、苦肉の策だったのだろう。

「喋りもしないあの俊尚様は、あなたが作った式。違う? だから私たちの前に、二人は同時に現れなかった」

 裏で烏が操っていたから。

 だんまりを決め込んでいる烏に対して、優しく露子は畳みかけていく。帝そっくりに作られた式を見たときに、わかった。

 あの源俊尚を名乗る男は、瞬きすらしていなかった。いつだって、虚空を凝視していた。人間そっくりに作られた式であれば、納得できる。

「ねぇ、俊尚様。それとも烏。どうしてあなたは……あのときのままなの?」

 しばらく烏は黙っていた。しかしふぅ、と細く息を吐いて、口を開く。そのときすでに彼は、烏ではなかった。

 源俊尚。今上帝の兄にして、安倍晴明の再来と噂される大陰陽師。それがこの少年の、本当の姿だ。

 烏――俊尚は、ゆっくりと首を横に振った。

「俺にもよくはわからん。しかし、おそらくは、この強すぎる力と引き換えに」

 先の帝は元々、長子として生まれた俊尚を東宮位に立てようとした。

 しかし人相見によって、全力でそれは否定された。この御子が東宮、ひいては帝になれば、天変地異が起き、人心は惑い、京は混沌に落ちると予言された。

 そのかわり、この御子の身の内にある霊力は尽きることなく、修行をさせ国にしかるべき立場で関わらせれば、今後の繁栄も約束される、と。

 父帝は悩みぬいた結果、俊尚に源姓を賜い、陰陽寮で修行をさせることとした。

 俊尚が異変に気がついたのは、ちょうど露子と出会った頃だと言う。

「その前から背も伸びなくなっていて、不安だった。そんなとき、露子……お前と出会った」

 本当に自分は年を取らないのだろうか。古今東西、権力者の夢である不老不死だが、そんなこと俊尚は望んでいない。ただ穏やかに成長し、好いた女を娶り、子を成して、それから死ぬものだとばかり思っていたから、内心恐慌していた。

 何のために俺は生まれてきたのか。人として生きることは許されていないのか。

 師である当時の陰陽博士は俊尚に、人の心でしか成せないことを、人ならざる力で行使するのがそなたのさだめだ、と説いた。定められた運命を全うするために、俊尚の肉体は年を取らないのだ、と。

 運命だというのなら、諦めるしかないのか。天の意志、気の力に逆らうことは、陰陽師には許されていない。この身体のままで生きていかなければならない。

 そんな折に、露子と出会った。泣きながら母の死という運命に抗おうとする小さな少女を見て、勇気をもらったんだ、と俊尚は微笑んだ。

「運命なんて信じない、って。お前はそう言ったんだ。俺は諦めていたのに。あの瞬間から俺は、お前に惹かれていたよ」

 入内する話を聞いたときには焦った。俊尚は言う。

「お前の話は帝にもしていたのだが、名前を出さなかったからな……」

 あれの女好きには困ったものだ、と俊尚は呆れた声を出す。露子は、帝の話が事実だったのだということを知った。

「でも、小さい頃の私しか知らないじゃないの……」

 美人に化けているかもしれない、と俊尚が期待していたのならば、残念だったわね、と露子は拗ねる。

「知っているぞ?」

「え」

 それこそありとあらゆる手段を使って。真顔の俊尚に、露子は「はああああ?」と大声を上げた。

 まったくもって身分のある男の妻とは思えない反応だが、俊尚は楽しそうに笑うだけだった。

「あの頃から全然変わっていなかった。だから、夢を見せた。夢の中でなら、素直に言葉にすることができたからな」

「夢って……」

 何度も見た幼い頃の夢。見つけた、と微笑む少年の姿。女房たちの話を思い出す。

 あなたのことを想っている人が、夢の中に出てくる。

 あの少年は、意志を持った現実の俊尚だったのだ。

29話

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