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<4-5話
七月になるとどうしても気分が浮つく。大学の夏休みは長い。去年の夏はどうやって過ごしたんだっけか、と考えて、その当時の彼女と敏之たちカップルと四人で花火に行ったりキャンプに行ったりしたことを思い出した。七月終わりの花火のときと、九月のバーベキューでは相手が違ったような記憶がある。
「夏休みどうする?」
敏之は軽い調子で聞いてくる。特に予定はないな、と告げると「まぁお前彼女もいないし……合コンとかも最近行ってないんだろ?」と敏之はこともなげに言った。
「しばらく女はいいや、って感じ?」
「……そういうわけじゃないんだけどさ」
箸をAランチのアジフライに突き刺して、ふと視線を敏之の向こうにやると、ひと際背の高い男がきょろきょろと空席を探していた。
「五十嵐!」
彼の名前を呼ぶと、千尋は靖男たちに気がついてにっこり笑って近づいてきた。靖男は置いていた荷物を床に移動させ、千尋の席を確保する。
「ありがとう、神崎。小澤も、俺が一緒でいいかな?」
「いいに決まってんじゃん」
どうぞ、と敏之に促されて「ありがとう」と千尋は座った。いただきます、と手を合わせた姿に、そういえば「いただきます」すら言っていなかったな、と靖男は口の中で言い直す。
千尋はきれいな所作でハンバーグを箸で切り、口に運ぶ。まるで彼だけが京懐石でも食べているかのように見える。人前だからの特別というわけではなく、靖男が知る限り、自宅で適当に作ったものであっても彼はこの姿勢を崩さないのだから、生まれ育ちというものは隠せない。
「五十嵐は夏休み、なんか予定ある?」
敏之に話しかけられて、千尋は「帰省するくらいかなあ……」と言った。
「五十嵐、京都だっけ?」
「うん」
「いいなぁ、京都が実家!」
「そんなにいいもんじゃないよ。夏は暑いし冬は寒い」
それに、夏休み前にテストがある……と、千尋は憂鬱そうに溜息をついた。文系である二人は顔を見合わせる。
「そんなに深刻になることなくね?」
率直に靖男が感想を述べると、千尋は首を横に振った。
「大学院への推薦をしてもらうにも、学部時代のテストの成績が考慮されるんだ」
なるほど、理系ならではの悩みがあるらしい。気楽な文系大学生とは違うことを思い知らされて、靖男は今月は千尋の家に行くのを控えようと心に決める。
――そうなのだ。結局、靖男は千尋の家に入り浸っている。なんだかんだと理由をつけて、千尋の家に行く。AVを見せろという理由はもはや成り立たなくなっている。
勉強している横で持ち込んだゲームをしていると、興味深そうに見つめているものだから、一緒に対戦したりする。最初は下手なのだけれど、次に行ったときには「研究したんだ」と笑って靖男をぼっこぼこに倒したりする。
何をするわけでもなく、一緒にいるのが心地よい……いいや、嘘だ。結局彼の家に行けば、三回に一回は女装した千尋と性行為をしている。最近では千尋のフェラチオの技術もあがってきて、「この間よりも○分も早くイかせた」と記録を取っては喜んでいる。やめろと言ってもきかない。
ただの友人と言うには歪だ。だからと言って、セフレと位置付けるほど、身体だけの関係というわけでもない。どっちつかずだ。本番に至っていないことだけが救いだった。千尋の後ろはいまだ手つかずの処女地だ。指の一本さえ靖男は入れていない。
「神崎? 全然食べてないけど、どうしたんだ?」
隣にいる千尋に声をかけられて、はっとしてあはは、とごまかし笑いをする。お前との友人関係のあり方に悩んでいる、なんて言えるはずがなかった。
「えーっと、あのさ、お前がテスト勉強大変な間、俺遊びに行くのやめよっか?」
よかれと思って提案した靖男の意見は、即座に却下された。
「えっ。いいよ、そんな、気遣わないで遊びにきてよ」
「でも、悪いだろ?」
「うーん……じゃあ、代わりに夕飯作ってくれる? 勉強してるとつい、食事忘れるんだよなあ……」
「お前、だからそんなに細いんだよ……」
元々食も細い上に忘れてしまうとは、これだから放っておけない。母親に言えば前日の夕飯の残りくらい持たせてくれるだろう。
「あのさ」
すっかり蚊帳の外に置かれていた敏之に話しかけられて、二人は同時に彼の方を見た。敏之は、「お前らいつからそんなに仲良くなったの?」と、聞く。
なんと言っていいのか靖男はわからなかったし、千尋もそうだろう。顔を見合わせてから、へらりと笑った。まさか、女装オナニーしているのを見たことがきっかけで、仲良くなりました、なんて真実を言えるはずがない。
「四月にたまたま泊まりに行ってさ。一晩話してたら、なんか、妙に気が合ってさ。なぁ、五十嵐」
千尋はぼんやりとしていた。
「五十嵐?」
「え? あぁ、うん。そう。すごい話してて楽で」
まさか思い出しているんじゃないだろうな。先週もチャイナドレスを着せて靖男のペニスを擦らせた。足が長いからスリットのあるドレスが映えたが、やはり丈は中途半端だった。
「ふーん。俺の知らないうちにそんなことになってたのね、靖男ちん」
「わーキモイ」
うふん、と敏之は妙なしなを作っている。キモイキモイを連呼して、しっしっ、と靖男は手をやった。
「あ、仲いいといえばさ」
女子高生のように話がころころ変わるのが敏之である。靖男は慣れっこだから「なに?」と普通に話を聞いたが、千尋は戸惑っていた。元々のんびり屋なのもあるだろう。付き合ってみると意外とぽやぽやしている。
「佐川院と五十嵐って前から知り合いなの? 仲いいみたいだけど」
ぴたり、と靖男は動きを止めた。お前、俺が五月からずっと聞きたくても聞けないことをいともあっさりと。そこで千尋が言い淀んでしまうのが怖かった。
しかし千尋は何の躊躇いもなく、
「高校も一緒で、あと、うちの二番目の姉さんと付き合ってるんだ」
と答えた。
「お姉さんいるの? 美人?」
「ん。年が離れて三人。美人……かなぁ。似てる、とはよく言われるけど」
「五十嵐に似てるんだったら絶対美人じゃん! しかも三人! パラダイスじゃん!」
そんなにいいもんじゃないよ、と敏之に対して笑ってみせて、それから千尋は靖男に目を向けて、「ぼんやりしてどうした?」と問いかけた。
「いや……なんでもない」
だからあのとき電話で、「洋介さん」と親しげに名前を呼んだのだ。真実がわかってほっとした。
食事を終えた千尋は、敏之と靖男の分の皿も重ね始めた。場所をとってもらったから、と一人で皿を片づけにいく。出口で待ってるから、と告げて敏之と二人で出口へと向かった。
「いや~……お前ほんと、さすがだなぁ」
「えっ? なになに? 俺なんかした?」
梅雨空とともに自分の心のもやもやも消え去った。素晴らしい。持つべきものは親友だ。靖男はぽんぽん、と敏之の肩を叩いた。テストが終われば何の心配もない、楽しい夏休みが待っている。今年は千尋ともどこかへ遊びに行こう。
そんなことを考えていたら、肩に衝撃を受けた。誰かにぶつかられた。確かに出入り口付近には立っているが、通行の邪魔になるというほどではない。明らかに故意であろう。
ぶつかってきた相手は靖男を鋭く睨みつけた。これが千尋や佐川のような大男だったならば、靖男もびびっていただろうが、実際目の前にいるのは少年と言ってもいいような小柄な青年だった。
ふん、と鼻で笑って彼は食堂内へと入っていった。わずかな間だったが、その目鼻立ちは整っていて、特にその大きな猫目が印象的だった。
「なんだぁ、あれ。靖男、知り合い?」
「いや……全然知らない」
和桜大学はマンモス大学だが、あれほど印象的な美少年であれば記憶にないなどということはないだろう。
>5-2話
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