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<17話
「食事は冷凍のを温めればいい。それよりも」
頬に触れられて、日高は動きを止めた。親指が目の下にあてられ、確認するように覗き込まれる。至近距離で見つめられると、ドキドキした。
「泣いたのか?」
下まぶたの腫れと赤みを帯びた目や肌を、指先でも確認すると、早見は顔を顰めた。一見、睨まれているような気持ちになるが、こちらを心底心配している表情である。
どうも早見は勘違いしているらしい。されるがままに硬直していた日高は、手元に置きっぱなしだった文庫本を楯にして、凝視から逃れる。
「違います! これを読んでいただけなんです!」
文庫の存在に気がついた早見は、ようやく日高が元の世界に戻れないことを悲観して泣いていたわけではないと、納得してくれた。
早見は日高の手から文庫本を取り上げると、ペラペラと捲った。
「そうか。これを読んだのか……」
目を細めて自分の著作を見つめている早見からは、特別な思いを感じた。日高がこの本を選んだことを、喜ばしく思っている様子で、特別な思い入れがありそうだ。
「この本って……?」
「これは、俺が高校時代に書いたデビュー作なんだ」
「えっ」
高校生ということは、今の自分よりも年下だ。避けていた裏表紙のあらすじの最後には、「新人賞受賞」の文字が躍っている。
「はぁ……すごすぎる」
と、感嘆の溜息を漏らした日高を見て、早見は唇に笑みを湛えた。内緒話をするような、けれど失敗してしまったような、そんな変な顔だった。
彼は日高の隣に腰を下ろした。淡々と、なんでもないことのように話を始める。
「実はこの話は、私小説なんだ」
「シショウセツ」
史、市、士……まさか、死?
学のない日高には、「シショウセツ」の「シ」という漢字が思い浮かばなかった。馬鹿だと思われたくなくて、顔には出さずに一生懸命に考えたが、答えは出ない。早見にはすべて、お見通しであった。
彼はいつものメモ帳を取り出すと、新しいページに「私小説」と書いた。
止めと跳ねがしっかりした丁寧な字に惚れ惚れするが、どんな小説のジャンルなのかはわからない。私の小説って、どういう意味だろう。
「要するに、俺の半生を綴ったようなもの」
驚いた日高は、文庫本と早見の顔を交互に見つめた。
早見の半生を物語として書き綴ったものということは、主人公は、つまり。
「まるきり同じというわけじゃない。俺は実際に、家族を探しに施設から抜け出したことはない」
彼が家族に恵まれないことは、前にも聞いていた。お互いに共感を覚えたことは、記憶に新しい。
早見の口から語られる詳細は、日高から言葉を奪った。
想像以上に、早見は孤独だった。相づちすら、簡単にうてない。
彼は、親の顔を知らない。愛情のみならず、名前すら、彼に与えなかった。早見岳というのは、高校卒業まで暮らしていた施設の管理人がつけたのだという。
>19話
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