<<はじめから読む!
<15話
駅前のコンビニを見る度に、慎太郎のことを思い出して悲しくなってしまうので、冬夜は昼間であっても、店に立ち寄らなくなった。
不便といえば不便だが、電車に乗る前に買い物を済ませてしまえば、わざわざ行く必要もなかったし、早い時間なら駅前のスーパーマーケットも開いている。
あの日、一人で逃げ帰ってしまったため、その後の橋本と香山への説明が大変だった。
親友だと思っていたのに、あんな女と付き合っていることも知らなかったし、そのために自分を避けてきたのにも腹が立ったのだ、と冬夜は言った。
肝心なことは一つも言わない冬夜の説明に、橋本は普段から適当な人間なので、さして気にすることもなかったようだが、香山は違った。
二年生のサークルメンバーが集まって、来月の慰問に関する話し合いをしている今だって、議長を務める冬夜に、じっともの言いたげな視線を向けている。
冬夜は彼を無視して、話を進めていた。冬夜にとっては幸いなことに、一年のメンバーや今この場にいる女子メンバーは、目立つことが好きだったので、自分は裏方に徹することができそうだ。
自分が表に出なくてもいいように会議を誘導していくのも、香山は不満なのだろう。
なんとか話し合いが終わって解散したものの、香山は動かなかった。全員が部室から出て行って、冬夜の元にやってくる。
「月島」
どう返事をしようかと、迷う暇はなかった。バン、と彼が机を叩いたので、冬夜は驚いて顔を向けることしかできなかった。
「逃げるの?」
香山の目は真剣な色を帯びている。へらへらと愛想笑いを浮かべて逃げることは、許してもらえそうにない。
そもそも「逃げる」の対象を、彼は何だと捉えているのだろうか。
「サークルの活動からも、こないだの人からも、逃げるの?」
答えない冬夜に対して、香山は更に追い詰めるような問いかけをする。
冬夜はキッ、と香山を睨んだ。多くの人間は、ただでさえ迫力のある三白眼が、怒りに吊り上がっていれば怯む。
だが、香山は動じることなく、「答えがないってことは、イエスと取るから」と言った。
そうなってしまえば、冬夜は開き直ることしかできない。肩から力を抜いて、息を吐きだす。
「俺が逃げたからって、香山には関係ないじゃん」
「あるよ!」
力の籠った声だった。香山にとって冬夜は、サークルが同じという繋がりしかない友人に過ぎない。個人的に遊びに行ったこともなければ、お互い家に呼んだこともない。
サークル内の責任ある立場にある冬夜に対しての苦言は、まだわかる。けれど、冬夜と慎太郎の関係に、香山は無関係だ。
お節介なのはわかってるけど、と前置きしたうえで、香山は冬夜が逃げた後の、あの日の慎太郎について語った。
「あの人、俺と橋本に頭下げたんだよ。月島のことを深く傷つけたから、もう自分は彼に会えない。だから、月島のことお願いしますって。とても優しくて、傷つきやすい人だから、って」
表情豊かな慎太郎は、嘘をつけない。本当は沈んでいるのに、無理矢理笑顔を浮かべて、香山たちに話しかけたのだろう。その様子が、目に浮かぶようだった。
「それに、あの人こうも言ってたよ」
――冬夜くんは、僕にとって、大切な人だから。
香山は、慎太郎の想いを少しでも伝えようと、おそらく彼の声に含まれた感情を再現しようと努めていた。
宝物にそっと触れるような声は、冬夜の頭の中で再生された。
「慎太郎……」
ぼそりと彼の名を呼んだことで、香山は勢いづいた。冬夜の肩を掴み、揺さぶる。
「あの人、女の人を先に帰してたし、たぶん誤解があったんだよ。ちゃんと二人で話せよ」
ガクガクと揺さぶられて、冬夜の頭も揺れ、頷いているような仕草になってしまう。冬夜は、「でも」とまだ決心することができない。
今まで冬夜がコンプレックスに思ってきたのは、自身の目つきの悪さについてだった。しかし、女と歩く慎太郎を見て、自分の心の中にまで、醜い部分があることに、気がついてしまったのだ。
慎太郎を独占しているという思い上がりに、それを裏切られたことで芽生えた嫉妬心。
そんなもの、いつだって笑ってやり過ごせていた。あの場面だって、笑って「彼女?」と聞くにとどめておけばよかったのだ。
冬夜は彼らのツーショットを通して、自分たちの姿を客観的に見てしまった。
王子様と従者? そんなレベルではない。貴公子と野獣と言ってもいいくらい、落差がある。
慎太郎と美女は、お似合いだった。黙って見守ることが、冬夜にはどうしてもできない。むき出しの醜い感情を、慎太郎に向けてしまう。
彼が優しいと言った心までもが、全部醜くなってしまったような気がする。そしてそれを、慎太郎に悟られるのが怖い。
冬夜はそんなことを、ぽつぽつと香山に言った。すると彼は、呆れたように溜息をついた。
「月島は、自分に素直になりなよ。それって、あの人のこと誰にも渡したくないくらい、好きってことだろ」
親友という存在以上に。
「親友、以上……」
他人の目からじゃないと、わからないこともある。
「恋してるんだって思ったら、そんな嫉妬心なんて、可愛いもんじゃないの?」
慎太郎が半吸血鬼だと知り、自分から血を提供しようと思ったのも、彼が知らない女性と歩いているのを見た瞬間のショックも、理由付けは簡単だった。
恋、のたった一言で済む。
わざわざ彼に会うために、コンビニに通って小さなチョコレート菓子を買っていた、あの最初の頃から、きっと自分は、彼のことが好きだった。
「あ……俺……」
どうしよう、と呟いた。頭の奥がぽわぽわしている。冬夜の表情変化に、なぜか香山まで、赤くなっていた。恥ずかしい奴だと思われているに違いない。
無性に、あのチョコレートが食べたいと思った。ただ甘いだけのチョコは、慎太郎の優しさそのものだ。
『冬夜くんは、とても優しい』
そう言ってくれた彼の想いに報いるためにも、冬夜は自分の殻を、打ち破りたいと思った。
>17話
コメント