臆病な牙(3)

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2話

 店を出て、二次会に行こうと盛り上がる皆の輪から、冬夜はこっそりと外れて帰路についた。

 電車に乗っている途中で、分厚い雲から雨が降ってきたので、扉に寄りかかりながら、冬夜は舌打ちをした。近くにいた女性客が、青い顔をして、冬夜から視線を外した。

 冬夜の顔面から、恐ろしいヤンキーだと思ったのだろう。申し訳ない気持ちになりながら下を向き、早く駅に着いてほしいと祈った。

 自宅の最寄り駅に着くと、雨はいよいよ本格的なものになっていた。天気予報では何も言っていなかったから、当然、折り畳みすら傘は持ってきていない。

 雨宿りして止むのを待とうかとも思ったが、雨足は強まるばかりで、一向に弱まる気配を見せなかった。

 駅の出入り口には、同じように傘を持たない帰宅途中の人々が空を見上げていた。冬夜は諦めて、一歩踏み出した。

 駅から冬夜のアパートまでは、歩いて十五分はかかる。その分家賃は安いのだが、こういうときばかりは、駅から近い物件にすればよかったと思う。

 いくら夏とはいえ、この雨では風邪をひいてしまうに違いない。背に腹は代えられない。途中のコンビニに寄って、ビニール傘を購入することに決めた。大学に入学して、早四本目である。

「いらっしゃいませ!」

 もうすぐ日付が変わるという時間帯とは思えない、はきはきとした挨拶に出迎えられて、気を取られた。レジにいる店員は二人。そのうち一人は、低いテンションで接客をしている。

 冬夜はもう一人、声の主の顔を見て、溜息をついた。今までお目にかかったことのないほどの、イケメンだったのである。

 いや、イケメンなんて安っぽい言葉は、この店員にはそぐわないほどの、美しさだった。

 同時に、自分のコンプレックスがむくむくと頭をもたげてくるのを感じて、冬夜は自己嫌悪に陥る。

 香山だけではなくて、今日散々にこき下ろしてくれた橋本も、顔はいい。イケメン・美形に対して、「きっと性格はよくないはず」「自分のことを理解なんてできないはず」という思い込みはよくない。そうわかっていても、どうしても劣等感がこみあげてくる。

 冬夜は軽く首を横に振る。髪についた雨粒が、はらりと落ちた。傘を買って帰ろうと売り場を見れば、一本しか残っていない。考えることは皆同じか、と手を伸ばす。

「あ」

 可愛らしい声と同時に、小さな白い手が視界に入った。自分が手を伸ばした傘に、同様に彼女の手は伸びていて、冬夜は顔を上げた。

 スーツ姿のその女性もまた、ずぶ濡れだった。まだ若いから、社会人になってそんなに経っていないのかもしれない。

 冬夜の視線にさらされて、彼女はしゅんと肩を落とした。自分の眼光の鋭さを思い出して、冬夜は「あの、どうぞ」と傘を譲り、店の奥へと逃げた。

 凶悪な顔面どおりの傍若無人な性格をしていたのならば、冬夜は勝ち誇った笑いを浮かべて、彼女の目の前で会計を済ませ、悠々と店を出て行ったに違いない。

 でも、冬夜はそんな男ではない。誤解されやすいし、卑屈になってしまうことも多々あるが、だからこそ、善良でありたいと思っている。

 安価なビニール傘はもうない。普通の長傘を購入するには、手持ちの資金は心もとない。バイトの給料が振り込まれるのはまだ少し先だから、節約をしたい。

 仕方がないので、冬夜はタオルを購入することにした。タオルを頭にかぶり、走って帰宅すれば多少はマシだろう。

 傘を譲った女性がすでに退店しているのを確かめてから、レジに並んだ。覇気のない方の店員にあたったらいいな、と思っていたのに、冬夜を呼んだのは、美形の店員だった。

「いらっしゃいませ! お待たせいたしました!」

 ここだけ朝の爽やかな空間のように感じて、冬夜は瞬きをした。目の前の店員は、華やかな笑みを浮かべている。

「あの、お客様」

 ポイントカードを提示して、あとは釣銭と品物をもらうだけという段階になって、店員は話しかけてきた。

「な、なんですか」

 冬夜の声が上ずってしまったのも仕方がない。マニュアル外の対応をされるなんて思ってもみなかったのである。

「先ほど、傘を買おうとしていらっしゃいましたよね?」

「え、あ、まぁ……この雨ですからね」

 この男はいったい、何を言いたいのだろうかと身構えていると、彼は釣銭を渡した後、「ちょっと待っててくださいね」とバックヤードに一度引っ込んだ。

 なんだなんだ、と気になって奥を覗き込もうとすると、彼はすぐに戻ってくる。その手には、ビニール傘が握られていた。

「よかったらこれ、もらってください」

「え? でも……」

 これはあなたのじゃないですか、と問うと、彼は笑って頷いた。

「僕、朝まで仕事なんで。朝にはこの雨も止んでいるでしょうし。風邪ひくと大変ですから、ぜひ。あ、返さなくて大丈夫ですからね!」

 青と白のストライプのシャツに、ピンクのネクタイというファンシーな制服が似合う、柔和な笑顔を向けられて、冬夜はどぎまぎして、「でも」と繰り返す。

 意外と彼は強引で、冬夜の手に傘を押しつけた。

「実はさっき、見てたんです。お客様、他の方に傘を譲っていらっしゃったでしょう? だから、ですよ」

 情けは人のためならず。誤用ではなく、正しい意味で、冬夜の向けた優しさは、すぐに自分に返ってきた。

 親切にしても、「何かを企んでいるんじゃないのか」と疑われやすい悪人顔の冬夜が、滅多にないことに感動を覚えていると、店員が「それからこれも」と、レジに置いてあった小さなチョコレートを手渡してきた。

「えっ、なんで」

「僕からプレゼントです。……雨のせいだけじゃなくて、お客様、なんだか元気のない顔をしていたから」

 ウィンク付きで握らされたチョコレートを、冬夜は拒むことができなかった。

 ありがとうございました、と爽やかな声を背中に聞きながら、冬夜は夢心地のまま、店を出る。

 借りたビニール傘を開き、駅から店までの道と違い、急ぐことなく家へと歩みを進める。

 傘が雨粒を弾く軽快な音を聞きながら、冬夜はコンビニでの出会いを思い返していた。

 この時間帯のコンビニに立ち寄ることが滅多にないから、あの店員とは初対面だった。彼は見ず知らずの冬夜に対して、とても親切だった。

 何よりも、彼は冬夜の「顔」について言及した。

 性根の悪い人間ならば、冬夜のヘビ顔をからかう。そして優しい人間は、ことさらに冬夜の顔について触れないようにする。

 そのどちらも冬夜を傷つけてきたが、あの店員は、冬夜の顔を美醜ではなく、精神の表れる場所としてじっと見つめ、自然に口に出した。

 今日は散々だった冬夜の鬱屈とした気持ちは、彼によって晴らされた。結局、美醜に囚われて自分のことを好きになれないのは、自分自身の問題なのだということを、改めて実感できたような気がする。

 ああいう人になりたいな、と冬夜は憧れの気持ちを抱いた。

 他人が自分の欠点だと思っているものを、嘲笑うでもなく、見なかったフリをするでもなく、あるがままに受け止めるその態度を、見習いたいと思った。

 何か辛いことがあったとき、冬夜は彼に会いたくなった。ストーカーと認識されないように、金曜日の夜だけコンビニに行くように決め、冬夜はまず、彼の名前が「かざまき」であることを覚えた。

 顔を合わせれば、「かざまき」は笑みを浮かべて、会釈してくれる。

 それはとても、嬉しい。けれど、常連客には皆、同じように接客していることに、気がついてしまった。

 常連客ではなくて、友人になりたい。

 その一言を言えないまま、冬夜はコンビニに、通い続けている。

4話

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