不幸なフーコ(17)

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ライト文芸

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16話

「私もわかんないんだってば」

 風子が来ていることを知ると、途端に渋り始めた哲宏を、電話じゃ埒が明かないと直接迎えに行った。

「私が文系なの、知ってるでしょ」

 基本の基本で躓いている風子にわかりやすく教えてあげられるほど、器用ではないのだ。

 その点、哲宏は理系で、中学時代も数学が得意だった。九十点以下を取っているのを見たことがない。時には百点満点すら、さも当然という顔で取っていた。小学校のとき以来、私は見たことがないというのに。

 しかも、彼は勉強嫌いを宥めるのも、教え方も上手い。

 私や母がいくら「宿題は?」と促したり、教えたりしても全然言うことを聞かないし、理解もできない弟の綾斗が、哲宏の教え方だと「わかった!」と、楽しそうにしている。

「それに、綾斗も凜莉花も、哲宏連れてくるって言ったら宿題する準備始めたし。来てくれないと困るよ」

 ひとりっ子の哲宏は、うちの下ふたりのおねだりに弱い。引き合いに出せば必ず釣れるのはわかっているから、先に弟妹に話をしてから迎えに来た。そのあたりは抜かりない。

 嫌そうな顔半分、頼りにされて嬉しそうな顔半分で、「仕方ねぇな」と小さく舌打ちをした哲宏は、「先行って待ってろ」と言い放った。

 私は心の中で、小さくガッツポーズ。これで第一関門は突破である。

 家の中に入れてしまえば、こちらのもの。哲宏は面倒見がいいから、うちの妹や弟だけじゃなく、風子のことも無碍にはできないはず。

 私の狙いは的中した。

「哲にい。これ教えて!」「綾斗さっきから独占しすぎ! 哲兄、私は理科がわかんない!」

 姉である私にはちっとも聞いてこないのが少々癪だ。ほろ苦い気分は飲み下して、自分のノートを開く。

 哲宏はふたり相手に解法を懇切丁寧に教えたあとで、「じゃあこっちの問題やってみろ。同じやり方だ」と、類題を提示。その隙に、こちらに注意を向ける。

「それで。天木はどこがわかんないんだ?」

 ちなみに私には聞かない。それほど得意ではないといっても、平均点以上は取れるし、宿題もひとりで終わらせられる。哲宏はよく知っていて、私のことだけ放置する。

「こことこことここと……」

 誰よりもたくさんの質問をぶつける風子は、いわゆる「何がわからないかすらわからない」というレベル。哲宏は困惑しつつも、「よく高校入れたな」という本音は押し隠してくれた。付き合いの長い私には、バレバレだった。

 自分の宿題は計画的にやっているし、私はひとりの方が捗るタイプだ。哲宏には風子に構っていてもらいたいので、彼の手を離れた妹たちの宿題を見てやろうと、座る位置を少しずらした。

 綾斗は早々に飽きて、ノートの隅にラクガキをしている。

「こら、綾斗」

 指摘すると、「へへへ」と笑ってごまかした。軽く睨むが、効果はない。

 綾斗は風子と似ている。自分の興味があることは夢中になって何時間もできるくせに、勉強はすぐに気が散ってしまう。

 手がかかる子ほど可愛いとはよくいうもので、母親は末っ子長男の綾斗に、やれやれと言いながらも構う。

 私が風子にするのと同じ。なのに、いい顔をしないのは、矛盾していると思う。

 その点、真ん中の凜莉花はひとりで何でもそつなくこなす。

 宿題の様子を観察すると、彼女はわからなかった問題には印をつけて、哲宏の手が空くタイミングを待っている。風子の指導が一段落したところで、声をかけるつもりなのだろう。

 たまには姉である私を頼ってくれてもいいのに。

 そう思って、「わかんないところ、ある?」と隣に座る凜莉花に尋ねた。

「え……いや、別にないけど」

 座り心地が悪そうに、身体をもぞもぞさせた妹は、私と微妙に距離を取ったように見えた。

「嘘。ふせん貼ってるの、わかんないとこでしょ」

 指摘すると、ムキになる。「やだ! 勝手に見ないでよ!」と、教科書やノートに覆い被さって、そのまま動かなくなった。

 呆れた。もう知らない。

 妹を無視して綾斗を落ち着かせる間も、凜莉花はふてくされたままだった。何度機嫌を取ろうとしても、微動だにしない。

 凜莉花の扱いは哲宏が上手いので、彼に任せようと思ったが、少し離れたところでテーブルひとつ占領している風子につきっきりで、まだしばらくかかりそうだった。

 風子を哲宏に夢中にさせたい私にとっては喜ばしいことだが、凜莉花がいじけているのをどうにかしたい私にとっては、好ましくない。

 勉強しないなら、部屋に帰ればいい。そう言っても、「やだ」という返事だけが返ってくる。とりつく島もないとは、まさしくこのことだ。

 凜莉花は気難しい。私には、彼女が怒っている理由がわからない。

 ただ、こうやって言うことを聞かない妹という存在は、正直なところ、可愛くない。

「フーコが妹だったらよかったのに」

 思わず、考えたことを口に出していた。聞いていなかったのは、消しゴムのカスを一生懸命に練り集めている、綾斗だけ。

「野乃花」

 咎める哲宏の声に、何も言えない私。

 のろのろと顔を上げた凜莉花は、私に一瞥すらくれなかった。無言で立ち上がり、みんなで集まっていたリビングを出て行く。

 妹の後ろ姿に、声すらかけられなかった。綾斗の鼻歌だけが聞こえる。

「ねえ、ののちゃん」

 脳天気な声が、タイミングよく私を呼ぶ。

「休憩しよっか? ね?」

 あたし疲れちゃったよぉ、という弱音に、知らず入っていた肩の力が抜けた。私の一存では決められなくて、ちらりと哲宏の顔を窺う。さっきまで強ばっていた表情を、少しだけ和らげた真顔で、彼も頷いた。

18話

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