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<25話
自室に戻ったベリルに、ナーガは胸を撫で下ろした。
「ああ、ベリル様。急にいなくならないでくださいませと、あれほど」
それほど長い付き合いではないが、シルヴェステル以上に一緒にいる男である。これは長くなりそうだと判断したベリルは、言われるよりも先に頭を下げた。謝罪をしてしまえば、それ以上の追及はあるまい。
「ごめんなさい。今度はちゃんと、ナーガに言ってから行くよ」
「許可をするとお思いですか!?」
謝るだけだと芸がないな、と思って付け足した言葉は余計だった。カリカリと彼は肩を怒らせて、「よろしいですか? 後宮の妃というものは……」と、お決まりの後宮作法をくどくどと申しつけてくる。
ベリルはいつも、話半分に聞き流すことにしている。ナーガが語る過去の妃たちのように社交に力を入れることは、ベリルにとって、そしてシルヴェステルにとってもプラスには働かない。
人間産まれの竜王に召し上げられた、人間の妃。しかも男だ。自ら催しを開いたところで、人など集まらない。やってくるのは、ベリルのことを無教養で礼儀を知らない人間だと馬鹿にしたい連中だけ。
逆に招待状は山ほど舞い込んでくるが、何をされるかわからないので、こちらも受けるわけにはいかない。その辺りはナーガも理解していて、断りの返信を書くのを手伝ってくれていた。
かといって、後宮で他にやることもない。貴族女性は刺繍が必須技術らしいが、ベリルには関係ないし、興味も湧かない。花を活けるのはナーガがやってくれるし、掃除はメイドが行う。
穏やかな後宮生活には、刺激が足りない。加えて、毎朝口づけひとつで表の世界へとすぐに帰ってしまうシルヴェステルを、あの孤独な人を、守らなければならない。
その一心で、ベリルはナーガの目を盗み、シルヴェステルのもとへと向かう。
「聞いてらっしゃいますか?」
「聞いているよ。でも、ナーガ。俺は男だし、ここは子を産む後宮じゃない。ならば、陛下のために自分ができることを成したいと思うのが、当然じゃないか」
「それが、政務中の陛下の邪魔をする理由になると? あなた様がいらしたところで、政治は動きません」
神職にあったナーガは、ベリルの世話係となる際に還俗している。それでも頑なに目を閉じたまま、心眼を鍛える修行を続けている彼は、優しい顔立ちとは逆に、厳しい一面があった。必要とあらば、カミーユどころかシルヴェステルにまで、臆せずにもの申す。
その気質は、ベリルと上手く噛み合った。傍から見れば口論にも見えるほど、二人の口からは言葉が飛び出してくる。ベリルがなかなかシルヴェステルに遠慮して言えないことも、ナーガは鋭く見破り、突いてくる。
ベリルは唇を噛みしめた。シルヴェステルを守るためにできる限り傍にいたいのと同じくらい、自分にはもうひとつ、やらなければならないことがあった。
(ジョゼフ)
妃として立ったその日から、顔を合わせていない友のことを思った。同じ城にいるというのに、炊事場の下働きに過ぎない彼と、曲がりなりにも後宮の主であるベリルとでは、偶然会う機会もない。それに、シルヴェステルのためにも、ジョゼフに会うわけにはいかなかった。夫に隠れて他の男と会うことは、倫理に反するところである。
自分がこうして、きれいな部屋でぬくぬくと暖まっている間にも、彼は竜人族の料理長にどやされながら、芋の皮を剥き、汚れた皿を洗っている。
ジョゼフの知恵や人間だからこそ思いつくアイディアは、この国のために十分に働かせるべきだ。けれど、制度がそれをよしとしない。
ベリルが彼にできることは、ただひとつ。人間族の能力や価値を見いだして、シルヴェステルに奏上する。人間族も竜人族も関係なく、高い能力の者が国の官僚となり、竜王の手足となって働くべきだということを。
「ナーガ。あなたもやっぱり、竜人が優れていて、人間が劣っていると思う?」
ナーガは頷くでもなく、首を横に振って否定するでもなかった。彼はただ静かに、「神のもと、人は皆平等です。竜人も人間も、獣人も。それから……」と、祭礼で信徒に話すような口調で諭した。
「それから?」
濁した言葉の後が気になって問いかけるも、彼は微笑を口元に浮かべるだけで、何も言わない。ベリルはすぐに諦めた。喋るときは積極的に、水が流れるがごとく喋るナーガが黙りこくるということは、口にする気が毛頭ないということだ。
神が本当に、人種の別なく平等だとしたら、それは誰かに肩入れすることなく、等しく冷淡であるということなのだ。神の都合で創造された弱い種族を、手厚く保護することがあってもいいだろうに。
口を尖らせたベリルは、茶の用意をしようと立ち働くナーガを見る。目を閉じているのに、彼は普通の人と同じようにてきぱきと動くのが、いつも不思議だ。
不思議といえば、ナーガの髪色である。白と黒がまだらに入り交じった色は、ベリルの知る竜人にも、人間にもない色だ。必要に迫られて会わなければならない貴族たちは、ナーガの髪を、汚らわしいものを見るような目つきで一瞥する。
美味しそうな色なのに。
ナーガの淹れてくれた黒い茶にミルクを入れると、彼の髪色と同じ色合いになる。混ざり、溶け合う過程を見るのが、ベリルは好きだった。
ふとベリルは、思いついた疑問を口にした。
>27話
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