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<48話
びりびりと空気を震わせる咆吼とともに、後宮の崩壊が始まった。城で懸命に働いていた人々は、一瞬動きを止めた後、混乱に陥った。窓の外にいるのは竜。銀の鱗で全身が覆われた巨竜だ。悲哀すら感じさせる声を上げ、幼子のように地団駄を踏んでいる。
多くの人は、シルヴェステルの真の姿を見たことがない。せいぜい、祭典の日に空高くを飛ぶ影を見たことがあるくらいだ。
だが、竜人であっても人間であっても、一目で本能が理解する。
これは我々が王と仰ぐ男だ。畏るべき竜だ。
「避難しろ! 荷物は置いていけ、邪魔になる!」
鳴き声と怒鳴り声が交錯する阿鼻叫喚の地獄の中、それでもカミーユは冷静であった。まずは城で働く者たちを避難させ、まともに動くことのできる兵士には、王都の民を外に逃がすように指示を出し、自身は後宮へと急いだ。
カミーユには責任がある。少なくとも、彼自身はそう思っている。
誰よりもシルヴェステルとベリルの近くにいたのに、陰謀に気がつかなかった。毒入り葡萄酒の件のときから、主人は蛇の存在を疑っていたのに。
ナーガ。
まだらな髪の麗人を思い出すと、胸が苦しい。
本当にあれが兄なのだとすれば、この事態に収集をつけなければならないのは、自分だ。
ベリルは止めてくれたけれど、発見次第、問答無用で兄を斬る。ずっと探していた兄ではあるけれど、それ以上にカミーユにとっては、国が、シルヴェステルが大切であった。
腰に佩いた剣の柄を握りしめて、カミーユが走り行き着いた後宮は、屋根が吹き飛んでいたが、彼の目を奪ったのは、散々たる状態ではなかった。
「ベリル様……?」
すぐ近くで竜が大暴れしているというのに、ベリルが眠り続けるベッドの周辺には、瓦礫ひとつない。まるで見えない障壁が彼を守っているようで、カミーユは出会ったときの青年のことを思い出した。
馬車と正面衝突して傷ひとつ負わなかった。その割に、ジョゼフには簡単に刺されたものだが。想像してみれば、あの場でベリルが刃を弾き返すなどしていれば、ナーガも何をするかわからなかったし、ジョゼフもめちゃくちゃにナイフを振り回し、被害が拡大していたに違いない。
『俺が守る』
竜人と違い、か弱く見える人間の身で何を。
シルヴェステルもカミーユも思っていた。
だが、本当にベリルには、誰かを守る力が備わっていたとしたら?
あえて刃を受け止めて、シルヴェステルを守ろうとしていたのではないか。
ベリルとはいったい、何者なのだろう。
しばし立ち止まり、呆然としていたカミーユだったが、竜が足を踏み鳴らし、眠るベリルに接近していくのを見て、我に返る。ベリルはシルヴェステルを守ることに執着している。崩れ落ちてくる壁は防ぐことができても、愛する者そのものによる攻撃は、受け止めてしまうかもしれない。
咄嗟に欠けた煉瓦を投げた。命中するかどうかは賭けだった。運良く竜の腹に当たり、意識がベリルから逸れる。
感情の見当たらない空色の目。ナーガの幻術によって彼は自我を失ったままだ。
「陛下!」
破壊衝動しかない生き物が、カミーユに迫る。持っている剣は、硬い鱗には歯が立たない。
死を覚悟して目を閉じたカミーユだったが、痛みも衝撃も、何も感じなかった。いや、あまりに一瞬のことだったので、感じる暇さえなく事切れたのかもしれない。
試しに思いきり息を吸えば、スムーズに空気が肺に入り込んでくる。生きている。その事実に驚き目を開けて、カミーユはさらに驚愕することになる。
「ベリル様」
本能のままに行動する獰猛な竜から守るように、カミーユの前に立ちはだかるのは、目を覚ましたばかりのベリルであった。
>50話
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