星読人とあらがう姫君(2)

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ライト文芸

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1話

 帝への入内の話が出たのは三年前、まだぎりぎり露子が適齢期だったときだ。大貴族の邸宅が並ぶ一角から外れた露子の家に、帝からの使者がやってきた。

 応対した父が、露子の名前を呼びながら、渡殿わたどのをどたばたと走って東の対にやってきた。普段から貴族であることを誇りに思い、貴族らしく雅やかに振舞うことに命を賭けている節のある父とは思えなかった。

「なぁに、お父様。そんなにじたばたしちゃって。変な虫でも出た? また私に退治させようっていうんでしょ」

 雨子と碁に興じていた露子は、父の顔を見ないまま言った。えい、と石を置くと、雨子が「姫様ぁ、少しは手加減なさってくださいよぉ」と、泣き言を零す。雨子も長年この屋敷に仕えているため、父の扱い方はよく心得ている。

 小太りで背が低く、手足の短い父は子供のように地団駄を踏んで、

「虫が出たぐらいでお前を呼ぶものか!」

 と言うが、いつも呼びつけるのは誰だ。ようやく露子は渋々顔を上げて、父の顔を見た。ぶくぶくと太ってだらしがない二重あごはいつもと同じだが、顔色は違う。青くて赤い、不思議な色合いだ。今までに一度も見たことがない。

 これは真面目に話を聞いた方がいいかもしれない、と露子は父に向き直る。

「お話とはなんですか、お父様」

 しゃんとした娘の姿に何か思うところがあったのか、父も落ち着きを取り戻した。突然扇を取り出してひらめかせ、もったいぶって口を隠し、細い目をにんまりと曲げた。が、扇の骨が曲がった状態なのが格好つかない。

「早く話す。じゃないと聞かないわよ」

 父は娘の性格を理解していない。いや、理解はしているのだろうが、扱い方をいまだに覚えていないのだ。

「なんと……」

「なんと?」

 父はにっこりと笑って、両腕を大きく広げて喜びを表した。

「なんと、お前の入内が決まったのだ!」

 ジュダイ……? 

 最初、その言葉の意味がわからなかった。また新しい宗教にでもかぶれたのかと思った。

 京は陰陽道・仏教・神道入り乱れており、そのすべてを貴族たちは多かれ少なかれ信用し、利用して生きている。

 加えて、民間ではもっと怪しげな信仰がはびこっていて、退屈しのぎに貴族たちは、彼らの占いを試してみたりもするのだった。

 とうとう怪しい宗教団体に売られるのか、と思った露子が「ジュダイ」の意味をはっきりと思い出したのは、雨子が絶叫とともに碁盤をひっくり返したときだった。

 黒と白の碁石が露子に降り注いだ。

「入内! 露子様が入内! ぃやったああああああ!」

 そうだ、入内だ……入内? 帝の妻として宮中に上がる……誰が?

「はあああああ? 私が? なんで?」

 嬉しい、という気持ちよりもまず、疑問が先に来る。貴族の娘に生まれたからには、一番の出世の道は、帝の妻に召しかかえられることだ。子供を身ごもって、その子が東宮になり、ひいては次の帝になることが最高である。

 勿論露子だって、入内が最高の栄誉であり、父への親孝行であることはわかっている。何もわからない子供の頃は、憧れの気持ちを持っていたこともある。

 けれどそんなことは、夢のまた夢。それなりの位で入内でき、帝の寵愛を受けることができるのは、一部の女だけ。元々家が別格で、美しい女たちが後宮での争いを勝ち抜くのだ。

 露子はお世辞にも美人とは言えない。摂関家と縁続きとはいえ、母が今の関白と従姉妹だというだけの関係だ。勝てる要因がない。

 勝てない勝負ならば、最初から同じ舞台に上がらない方がいい。これ以上惨めな想いをしたくない。けれど。

「うっ……ううっ……姫様が、帝に……浮草うきくさの君なんて、根無し草だなんて呼ばれている姫様が、入内できるなんて……」

 雨子は感極まって袖を濡らした。乳姉妹としてよく仕えてくれている雨子は、「今度は私が姫様のお子様の乳母になりますの!」と、常日頃から夢を語っていた。

「これで、これでようやく私にも運が回ってきた!」

 父はすでに、自分が出世することが決定事項だというように笑っている。

 露子が生まれて、父は喜んだそうだ。娘の入内は男親にとっては家の今後を左右することだったからだ。

 藤原の名前は冠していても、露子の父は末端の中の末端だ。摂関家の縁故にある姫をたまたま正妻として持つことができて、縁戚関係を持つに至っただけの成り上がりだ。

 でもだからこそ、彼は出世には結婚が重要なのだということを、人一倍理解している。

 財産はあまりないから、妻や愛人を囲い、何人も子供を産ませることはできない。娘の誕生は政治の道具の誕生と同じだった。

 しかし父の喜びは、露子の成長につれて一転、落胆へと変わった。母は絶世の美女と謳われていた。なぜ父と結ばれたのかわからない、と親戚筋は口をそろえて言う。

 だが露子は、残念ながらそんな母に似て生まれてこなかった。後宮では勝ち目のない平凡な容貌。露子が五歳になる頃には、父も諦めてしまっていた。

 今になって入内の話が舞い込んでくるなんて、露子は思ってもみなかった。父も寝耳に水だっただろうが、願ったり叶ったりだった。

 嫌だ、入内なんてしたくない。そう言うことは許されていない。結局、自分の意志よりも周りの意向が優先されるのだ。

 だから露子は居住まいを正し、手をついて父に向かって一礼した。

「……謹んで、お受けいたします」

 と。

3話

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