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<18話
「まだ、寝ないのか?」
心臓が口から出るかと思った。せっかく落ち着きかけていたのに、不意打ちなんてひどい。口元に無理矢理笑みを浮かべて、振り返る。
「も、もうちょっとだから。気にせず寝てろよ。明日も出勤だろ?」
立ち上がり、九鬼の背中をぐいぐい押そうとした千隼は、彼に手首を掴まれて、驚いて動きを止める。
力が緩んだのは、千隼のその反応を、痛かったからだと勘違いしたためだろう。それでも、九鬼は千隼を離すまいとする。
「今日も、しないのか?」
目的語を省いた文章が、こうも意味を成す局面もあるまい。言葉にせずとも、九鬼の目はぎらぎらしており、雄弁である。
すがすがしいまでに性欲をぶつけられて、千隼は思わず、「する!」と言いかけた。
先程までの決意はなんだったのか。明るい場所で初めて見る九鬼の目に、ドキドキしながら、どうにか断りの文句を探した。
「いや、お前最近疲れてんじゃん?」
「言うほど疲れていない」
やや瘦けた仏頂面で、何を言うか。
疲労が蓄積しているのは明らかで、千隼は九鬼を睨む。
約二十センチの身長差。千隼の精一杯の抵抗の視線は、九鬼にとっては見上げられている、ただそれだけのことだろう。
案の定、千隼の無言の圧力など、そよ風程度にしか感じていない九鬼は、掴んだ手首を引っ張った。まるで大人と子どもの勝負で、当然千隼は、彼の元に引き寄せられる。
厚い胸板に、ぽすんと収まった。逞しい腕が背に回されて、抱き締められる。
自分のあるべき場所に収まった。謎のフィット感に、千隼はうっとりと頬をすり寄せそうになったが、我に返って九鬼の胸を軽く押し返した。
危ない。煌々と電気の灯った部屋で、妖しい雰囲気になるなんて。
「お、俺が疲れてんだよ」
「じゃあ、お前がベッドを使え。お前が家主だろう」
「客を床に寝せられるか!」
数回の押し問答を繰り返したが、舌戦では千隼が勝つ。口下手な九鬼は、結局諦めて沈黙に逃げてしまうからだ。
冷や汗と、中途半端な状態にされた欲望を内心に秘め、千隼は九鬼をぐいぐいと押し出した。
「俺もあとちょっとで寝るから!」
納得していない顔の九鬼をどうにか追い出す。寝室のドアを閉めて、ずるずるとその場で座り込んだ。
(び……っくりしたぁ……)
そっと、声を出さずに言う。
九鬼が直接、言葉で誘ってきたのは初めてのことだった。
修行僧のような顔をしているわりに、性欲が強いことはなんとなくわかっていたが、今までは、千隼が先手を打って直接スキンシップで誘っていたから、それが可視化されることがなかった。
『焦らして焦らして、焦らしまくってやるのよぉ』
拳を握って力説していた幹男の言葉を思い出す。
彼の作戦が、うまくハマった?
行動を移さない千隼に焦れて、自分から「しよう」と言ってくるのなら、一歩進展したと言ってもいいだろう。
「……乗ってもよかったのかな」
いやいや、決着がつくまでは駄目だ。
千隼は頬をパンパン、と軽く叩いて、正気を取り戻した。
九鬼と次にセックスするのは、あの女との件を解決して、自分のことを「愛してる」と言ってくれるようになったときだ。
>20話
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