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<24話
「おっと」
テーブルに音を立ててぶつかったスマホを、九鬼は素早く回収した。千隼はぶるぶると震えて、それから九鬼に「パートナーって……」と、尋ねる。
おそらく、間抜けな顔をしているに違いない。視界はなんだかぼやけているし、口が上手く動かない。膝の上で握った拳は痛んで、これが現実だと教えてくれるが、夢の中の出来事のようだった。
「パートナーって、俺のこと……?」
それから、乳山のメッセージの中にあった「恋人」も。
九鬼は肩をすくめる。
お前以外に誰がいるっていうんだ。
まさしくそんな顔をしているが、今の千隼にとって大切なのは、何よりも言葉だった。
「ちゃんと言ってほしい」
千隼の懇願を、九鬼は聞き入れる。口下手な彼らしく、朴訥な言葉だった。
「お前は俺の恋人だ」
肯定の言葉に、それでも千隼は、「嘘だぁ」と反論する。これには九鬼も心底参ってしまった様子。
「お前はどうしたら、俺のことを信用するんだ?」
と、頭を抱える。
九鬼が言うには、千隼には自分の気持ちなど、とっくに伝わっていると思っていたとのこと。
誘われて性交したその瞬間、九鬼は千隼が初めてではないことは、すぐに悟った。それなりの恋愛経験があるのだから、恋愛初心者の自分の気持ちなど、筒抜けであろう、と。
驚いたのは千隼だった。
「だ、だってお前、全然表情も変わらないし……読めるわけない!」
そもそもいつから、自分のことを好きだったというのか。
千隼の詰問に、九鬼は少し考える素振りを見せたあとで、口を開いた。
「高校時代、困っているお前を見て、周りに忠告したことがあったな」
「ああ、うん……」
学生のときの九鬼との唯一の思い出話を持ち出されて、千隼は「今、それ関係ある?」とは思ったが、何も言わずに話の先を促した。せっかく喋ってくれるのだ。水を差す必要はあるまい。
「あのときの姫野の縋りつくような顔を見たとき、俺はたぶん、もうお前に惚れていた。いや、もしかしたらそれよりも前から……」
人の顔色を読むことが得意か不得意かでいったら、九鬼は苦手な方だ。我が道をいくタイプだし、もともと読む必要性を感じていない。
けれど、なぜか千隼が姫扱いされることに、内心の憤りを感じていることには気づいたのだ。
あの頃は不思議だと思っていたが、千隼に対して普通以上の関心を抱いていたとすれば、あり得る話である。
待てよ。今回も、あのときと同じだったというのか?
千隼が自分自身ですら無視を決め込み、自覚していなかった恋愛感情を、九鬼は勝手に察した。自分と同じ気持ちだということを知ったからこそ、千隼との関係を結ぶに至ったのでは。
よくよく考えてみれば、風俗に行くことを拒絶する倫理観の持ち主である九鬼が、好きでもなんでもない男と行為に及ぶことが、まずあり得ない話だ。
六年前の同窓会、千隼の誘いに乗った時点で、九鬼は千隼とは両思いだと認識していたわけである。
「な、んだよ、それ」
千隼は脱力した。つまり、自分がノンケへの変なレッテルを貼らず、素直に自身の気持ちと向き合っていれば、こんな風にこじれることはなかったわけである。
「信じてくれるか?」
「まぁ……」
それでも曖昧な返事しかできなかった。仕方ない。まだふわふわしているのだから。
九鬼は溜息をつくと、千隼の手を引いた。
「帰るぞ」
「は? 帰るって?」
え、仕事は?
突然の行動に戸惑う千隼をよそに、九鬼はさっさと会計を済ませ、その場で職場に電話して、直帰を取りつけてしまう。
しかも、適当な理由ではなく、「このままだと恋人とこじれて別れることになりそうなので、帰って説得する」と、馬鹿正直に話してしまった。
専門学校を卒業して数年しか企業で働いたことがないうえ、有給など病気のときですら使わせてもらえないようなブラックな環境にいた千隼からすれば、そんなめちゃくちゃな理由が通るとは思わなかった。
が、電話を切った九鬼は、「行くぞ」と、ぐいぐいくる。本気であの理由で直帰が認められたらしい。
「乳山先生が、事前に話をしてくれていた」
売れっ子作家によるアシストもあり、家主の戸惑いもなんのその、九鬼は千隼のマンションを目指して突き進むのであった。
>26話
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