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<13話
名乗ることも忘れていた母親を落ち着かせて話を聞いた。彼女は河原の母親で、残業を終えて帰宅したところ、息子が家にいないと泣いて訴えた。
部活と勉強の両立を目指し、滅多に塾を欠席することもない河原だが、司は彼を退塾予備軍リストに入れていた。
頭の中には、河原とは別の生徒の顔が浮かんでいる。河原の母には警察への通報をお願いして、自分も探すと言って、携帯の番号を相互に教え合った。
スマホだけ持って外に探しにいこうとした司に、花房は「俺も探します!」とついてきた。
「俺は室長だから。お前は帰れ」
強く言ったが、彼は首を横に振る。
「河原は、俺の生徒でもあります。手分けして探した方がいいに決まってる!」
睨み合う時間も惜しく、司は「勝手にしろ」と言って、外に飛び出した。
学習塾を開くことができるのだから、基本的には治安のいい地域である。ただし、それは駅のこちら側だけ。反対側の南口方面は、飲み屋街が広がっている。閑静な住宅街とはいかない雑多な地域性から、在籍する生徒や親も多種多様だ。
山の手の高級住宅地にほど近い教室にいる同期は、「教育ママが多い」「ちょっとしたことでクレームになる」と愚痴を言っていたが、恫喝してくる親や、授業料の滞納がデフォルトな家庭は少ないだろうから、羨ましかった。
それでも、新卒からずっとこの教室にいる司は、この雑然とした街や住民の気質もまるごと、なんだかんだ受け入れていた。気に入ってすらいた。
「北口側には、いなさそうだな……」
コンビニや公園、少年がたむろしそうなところを一通り見て、結論づけた。
「たぶん、鈴木と一緒だと思うんだよな……」
先ほどから鈴木鈴庵の家に電話をしているのだが、誰も出ない。舌打ちしたい気持ちを抑え、留守電を入れることしかできなかった。繋がったところで怒鳴り散らされるのはわかっているのだが、それで彼の無事が確認できるのなら、よかった。
世の中には、夜中にならないと帰宅できない職種もある。塾講師はそのうちのひとつだ。けれど、子どもがいるのならば、常識的な時間に帰宅すべきだという考えは、自分の頭が古いだろうか。
合流した花房が、スマホをじっと見つめている。どうしたんだろう、と近づいて覗き込むと、彼は動画サイトの生放送番組を見ていた。
「鈴木って、YouTuber志望だったじゃないですか。もしかしたら、ライブ放送をしているかもしれない……」
花房の推理に、ハッとした。誘拐されたとか事故に遭ったという理由ではなく、自分の意志で帰宅していないのだとしたら、そこには目的がある。
鈴木は花房の説得を受けたあと、しばらくはおとなしくしていた。宿題はやらないし、テキストすら開かないけれど、きちんと椅子に座っているだけで、上出来だった。
けれど、あの目は素直さとは無縁の反骨精神に、鈍く光っていた。
絶対に目にものを見せてやる。勉強なんてしなくたって、再生数を稼げる動画を配信してやる……。
鈴木の計画に、河原が巻き込まれたということは、じゅうぶん考えられた。
司は花房とは違う動画サイトを探す。YouTubeよりも手軽にライブ配信ができるアプリは、山のようにある。コミュニケーションの一環として、授業中の雑談に、司は生徒たちから流行り物の情報を集めていた。
「いた……!」
生配信番組一覧の中に、『【社会派〇学生】酔っ払いにインタビュー【こんな大人になりたくない】』というタイトルを見つけた。再生ボタンを押す。案の定、鈴木だ。画角や両手が空いていることから、スマホで撮影をしているのは河原だろう。素人ゆえの手ぶれがひどく、鈴木は「おい! ちゃんと撮れてんのか?」と、偉そうである。
「やっぱり南口だ!」
背景はわかりづらいが、赤提灯がいくつもぶら下がった大衆居酒屋は、駅から飲み屋街を直進した角の、奥まった場所にあったと記憶している。前の室長は、ストレスを飲みで解消するのが常で、この辺の居酒屋はあらかた連れ回された。ちなみに奢ってもらった記憶はない。
動画を再生したままの状態で、駅の向こうへ走る。相手も移動しているので、正確な位置はつかめない。
今日の授業もサボり、どころか学校すら欠席したのかもしれない鈴木は私服だが、河原は制服だったはずだ。体格がよい河原は、開襟シャツにスラックス姿だと、若手の社会人に見えるかもしれない。だが、よく見れば輪郭はまだまだ幼い子どものものだ。
『お。いいカンジに酔っ払ったサラリーマンが、あそこの店から出てきましたね。それじゃあ、インタビューしてみましょう』
素早く駆け出す鈴木を追うカメラ。待って、という微かな声は、やはり河原のものだった。
「蓬田先生、あそこ!」
花房が指さした方を見れば、鈴木と河原がいた。それから、五人の中年男性。したたかに酔っ払っていて、上機嫌だ。何かやらかして激怒される前に、鈴木を止めなければ。
走り出す司だが、日頃の運動不足が祟り、すでに息が上がって足は重かった。隣を併走していた花房が、ぎゅん、と加速して先に現場へと向かってしまう。
持っていたスマホからは、鈴木の陽気な声がした。こいつも酔っ払っているんじゃないか。疑ってしまうほどにテンションが高い。
『それで~、仕事のできないオジサンほど、なんでえらそうなのかって聞きたいんですけど~。オジサンたちも仕事、できなさそうっすよね。アメリカじゃ、デブは仕事ができない証らしいですよ~。ハゲももしかしたら、そうかも』
この馬鹿!
『あと、こんな時間まで飲んで帰るってことは、家族もいない、もしくは愛想を尽かされてるってことっすよね? 可哀想なオジサンから、視聴者の皆さんにメッセージをお願いします! 俺ら反面教師にするんで』
もしかしたら、図星の男もいたのかもしれない。グループのリーダー的存在らしい中年男が、鈴木の挑発に激高した。彼が貶した、太っていて頭髪が寂しい男である。
『このクソガキ!』
『あっ、殴る? 殴っちゃいます? やだなあ。俺いま、生配信中なんですよ。ほらほら、あっちにカメラ……』
指をさされた河原が、逃げようとする。しかし男は許さなかった。
『何の苦労も知らねえガキがよぉ!』
やばい。拳を振り上げた男が、ふたりに襲いかかる。周りが止める暇もなく……いや、最初から止める気もなかったのかもしれない。完全にフリーな状態で殴りかかってくる男に、さすがの鈴木もやり過ぎを自覚して、「は、話し合いましょうよぉ。暴力はんたーい!」と、いまさらなことを言って、両手でガードする。しかし、当然聞き入れられるはずもない。
「クソがぁ!」
もうダメだ。必死で走っていた足を止めてしまい、司はぎゅっと目を瞑る。最近の子どもは体格がいいとはいえ、泥酔した人間のストッパーは壊れている。全体重を載せたパンチで、鈴木たちが大怪我をしてしまう。
「は、花房先生っ!?」
視界を閉ざした司が覚悟していた悲鳴とは違い、声は明瞭に名前を呼んだ。パッと目を開けて、状況を確認するやいなや、駆け寄る。
倒れ込んでいるのは鈴木でも、河原でもない。
「花房!」
抱きかかえた司に、頬を腫らした花房が微笑みかける。イケメン講師の名をほしいままにしている彼だが、目の大きさが半減している。
「だいじょう、ぶ……です」
弱々しい声に、司の涙腺が刺激された。伸ばされた手をがっちりと掴み、ぽろぽろと泣く。傍らには助けられた河原と鈴木が、同じくワンワン泣いている。
「先生、ご、ごめんなさい! 俺、俺ぇ……!」
明確な意味をなす言葉が出てこない鈴木の肩を、河原が抱いている。泣き方は鈴木に比べて静かだったが、目が真っ赤になっていて、反省している様子がありありと浮かんでいた。
まさしく阿鼻叫喚のパニック状態の中に、誰かが呼んだらしい警察官が、「大丈夫ですか!」とやってくる。それから救急車のサイレンも遠くに聞こえ、安堵したのか、花房はふっと意識を飛ばした。
「おい! 花房! 花房ぁ!」
揺り起こそうとする司は、警察に止められた。
「頭打ってたら大変ですから!」
説得されて、脱力する。気を抜くとふらふらする司を支えた警察官は、「ひとまず署までお願いします……君たちもだ」と言い、司と子どもたちを保護し、花房を殴った酔っ払いとその仲間を、逮捕するに至った。
>15話
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