<<はじめから読む!
<96話
「嘘……やだよ。呉井さんが死んじゃうなんて、嫌だ」
「俺だって嫌だよ」
あと二日の命だなんて、信じたくない。こうやって二人に話していることすら、俺にとっては現実逃避みたいなものだ。
「なるほど。その瑠奈っていう奴は、無意識的に人を洗脳する技術に長けていたんだろうな」
山本は腕を組んで唸る。どういうことか聞いてみると、眼鏡の位置を直しつつ、説明してくれた。
曰く、洗脳と依存は切っても切れない関係だそうだ。幼い頃の呉井さんを、日向瑠奈は囲った。親のお墨付きを得て、二人きりになる時間が長かった。瑞樹先輩や仙川といった、呉井さんに別の考えを示してくれる存在も締め出した。
「心理的な密室状態とも言えるだろう」
カルト教団なんかだと、ここに暴力が付け加えられる。狭く暗い場所に閉じ込めて、暴力を振るう。無力感にさいなまれた対象者に甘い言葉を吐いて、依存させ、教義が絶対だと身に沁み込ませる。
「もっと簡単な例だと、DV彼氏と別れない彼女。なんで逃げないんだ? ってカップルいるだろ。あれと似たようなことを、その日向瑠奈って奴は、暴力は使わずに成し遂げたってことだろう」
はぁ、と大きく溜息をついた。まだ小学生にもなっていない呉井さんに目をつけ、真綿で絞め殺すように彼女を傷つけてきた瑠奈のことを、俺は、俺たちは許すことができない。なぜすでに死んでしまっているのか。目の前にいたら、一発殴ってやらなきゃ気がすまない。
「あ、あたしも日曜日、一緒に行く!」
「いや、ダメだ」
柏木の気持ちはありがたいが、彼女はすぐに顔に出てしまう。呉井さんは柏木がすべて知っていることを悟り、そのままいなくなってしまう。引き留める暇すらなく、彼女は命を絶つだろう。
「あたしには、何にもできないの……?」
とうとう泣きだした柏木に、山本が一度席を立ち、紙ナプキンを大量に持ってくる。ほら、と差し出されたそれを受け取って、柏木は目元を押さえた。男二人で寄ってたかって女子を泣かせているような構図だが、周囲はそれぞれの話で盛り上がっていて、こちらを注視している人間は少ない。
「できること、あるよ」
柏木は顔を上げる。目元のラメや睫毛に塗っていたマスカラがぽろぽろ落ちて、頬に付いている。
君の命を想い、みっともないくらい涙を流してくれる友人がいることを、呉井さん、君は理解しているのか。
日向瑠奈なんかよりも、よっぽど強く君のことを考えて、行動に移そうとしている人間を振りむかせなければならない。
「頼みたいことあるって言っただろ? 日曜のデートの服、見繕ってくれよ」
呉井さんに可愛くしてくるように言ったくせに、自分がダサいなんて、彼女、帰っちゃうかもしれないだろ。
俺が笑うと、柏木もまた、微笑んだ。
「とびっきりの、見立ててあげる」
そう言って、柏木はしなしなになったポテトを一本つまんだ。
>98話
コメント