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<97話
土曜日は柏木たちと買い物に出かけた。山本がくっついてきたのは、「呉井さんとデートに行くことになってんのに、あたしと二人で出かけてたの見られたら、明日川の評価は血に落ちるよ」との言い分によってだった。
軍資金は母親から出た。出かけるための服を買うから、と小遣いの前借りを頼んだのだが、女親とは勘のいいもので。
「デート? デート用の服ね!? いいわ、いくらでも持っていきなさい!」
と、財布ごと押し付けてくるものだから、参った。俺はデートなんて一言も言っていないのに。母は涙を拭う素振りで、「とうとう我が息子にも春が……」と喜びを露にしている。
一万円札二枚だけ借りた結果、柏木が想定したよりも多かったので、ワンランク上げた店に連れていかれた。ああでもないこうでもないと着せ替え人形の気持ちを味わった結果、普段買わない色のシャツとカーディガンを買うことになった。ズボンは普段使いの黒いデニムでいいらしい。そしてなぜか、山本も服を買っていた。なんでだ。
健闘を祈る、と二人に肩を叩かれた。大丈夫だ。俺は……いいや、呉井さんはひとりじゃない。
そして翌日。俺にとっても、呉井さんにとっても運命の日。
「おはよう、呉井さん」
午前十時。学校で。
昨日送ったメッセージには、そう待ち合わせの指定をした。彼女はスタンプを使わないので、「わかりました」と簡潔に返ってくるだけだった。俺もそれ以上、「何がしたい」だのなんだのぐだぐだ聞かずに、一往復だけでやり取りは終了した。
「おはようございます、明日川くん」
呉井さんはふわっとしたニットのワンピースを身に纏っている。くすんだピンク色が、彼女を大人っぽく見せる。化粧などしなくとも十分美しい彼女だが、今日は普段と異なり、唇がキラキラしている。光が当たるたびに、パールが虹色に輝いていた。あまりにも眩しい姿に、思わず目を細める。
「明日川くん?」
俺が何も言わないのを訝しんだ彼女が、首を傾げる。ああ、髪型もいつもと少し違うのか。ただ下ろしているのではなく、サイドの毛を編み込みにして止めてある。文化祭の件で不器用なのが判明した呉井さんなので、自分ではこんな髪型にはできないだろう。
「可愛い髪してるなあ、と思って」
「まぁ……ありがとうございます」
「でもそれって、仙川先生がやってくれたんだよね? 違う?」
呉井さんは図星を指されて、真っ赤になった。俺は声を上げて笑い、彼女の手首を取った。
「さ、行こうか」
「は、はい」
俺の行動に面食らった呉井さんは、引きずられるようにして俺についてくる。きっと彼女は、おかしいと感じているだろう。
引っ張っていくのは自分で、俺はそれに「はいはい」って言いながらついていく。それが俺たちの関係だった。今日だって誘ったのは俺だが、彼女は自分がリードするつもりでいたに違いない。
呉井さんの思い込みを崩す、その一歩だ。
初めて握った女の子の手首の細さにどぎまぎしていることを、俺は悟られまいとする。でもきっと無駄だろう。心音は指先まで通っていて、ちょうど彼女の脈打つ場所に触れている。
ドクン、ドクン。お互いの緊張が伝わってきて、さらに高まっていく。
別々の世界を見ているのに、そんな共鳴がおかしくて俺は笑った。どうか今日一日、涙が零れませんように。祈るしかなかった。
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