11 笑顔のメダル(1)

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10‐3話

 おいどこまで行くんだよ、と靖男が聞くと、千尋は、「保健センター!」と一言叫んだ。

「保健センター、今日はやってないぞ!」

 ミッキーならば必ず知っている情報を言うと、千尋はぴたっと止まって困った顔をする。

 骨折した方の腕はなんとかかばったので、大事はない。痛みもすでに引いており、手当てもいらない。

「どっか、二人きりになれる静かな場所がいいな。その、お前目立つし……」

「目立つ……あっ?」

 どうやら自分が女装しているということも忘れていたようだ。とりあえず下ろしてくれる? と靖男が言うと、「ご、ごめん!」と謝って、すぐに下ろしてくれた。女装した男は学園祭の中では珍しくはないから、お姫様抱っこをしているというポイントを引けば、特に注目を浴びることはない。

「本当に、平気?」

「腕はぶつけてないから大丈夫。それより、行こう」

 自然と千尋の手を引いていた。十月の秋の日は短く、もうすでに夕暮れ時を迎えているにも関わらず、二人の手はじんわりと汗ばんでいる。

 たどり着いたのは、会場となっていない第二体育館だった。もぬけの殻の体育館ギャラリーへと足を運び、適当な場所に千尋を座らせた。裾を気にしながら彼は正座をし、靖男の言葉を待っている。

 ちゃんと返事をする、と言ったものの、どこから話を始めればいいのか。靖男は深呼吸をして、無事な方の肩を回す。

「あのさ」

「……はい」

 西日が差すギャラリーは静かで、千尋の顔が夕焼け色に染まっているのが、きれいだと思った。

「五十嵐さ、俺の好みって知ってるよな?」

「ああ。背の高い女の子だろ? 昔一緒にキャンパス歩いてたのも、神崎よりだいぶ背の高い女の子だったよね」

 神崎はモテるもんなぁ、と千尋は屈託なく言った。そんなシーンを見られていたのか。しかしそれが大学に入ってから何人目の彼女だったのかも覚えていない。

 今までの恋人たちに対して、不誠実だったと思う。一人一人に謝ることは、非現実的だ。だから靖男は、誓う。これまで多少なりとも傷つけてきた女たちに本来ならば向けるべきだった愛情を、次の恋人に向ける。

「背が高いっていう事実よりもさ、男より背が高いのを気にしてて、本当の自分を出せない子が、付き合うようになって俺の前だけで素直な表情を見せてくれるのが好きなんだ。ギャップ萌えって奴」

 そしてその恋人は。

「俺は、そのギャップを……五十嵐にも感じるんだ。俺の前でだけ、笑ったり怒ったり、女装した姿見せてくれたりして、そういうところが」

 靖男は千尋の頭からゆっくりとウィッグを外した。ネットも外してやると、千尋の地の髪の毛はぐしゃぐしゃになっていて、靖男は優しく撫でつけた。

「好きだ。五十嵐が俺のことを好きでいてくれるのと同じように、俺も、五十嵐のことが」

 身体を引き寄せると簡単に、倒れ込んでくる。ぎゅう、と抱きしめると、千尋の身体からはほんのりと汗の匂いがした。決して嫌なものではなかった。

 千尋が靖男に手を伸ばした。触れたのは胸ポケットで、かさりと中身が音を立てたことによって、「そうだ、忘れてた」と靖男は一度、千尋から身を離してポケットの中身を取り出す。

「ほんとはステージで渡そうとしてた奴。ほら、五十嵐、得票数一位だけど、トロフィーはもらえないだろ? その代わり。お粗末なもんだけどさ」

 しかもポケットに入れて時間が経っているから、くしゃっとなってしまっている。靖男は丁寧にそれを伸ばして、千尋の首にかけた。小学校の運動会でももうちょっとまともな物をくれるだろう、手作りのメダルだ。

「一位おめでとう。ほんと、お前が一番、きれいだった。……今も」

 千尋の目から涙が落ちる。泣いて化粧が落ちてしまっていても、靖男には千尋が一番美しく見える。美しい、と愛おしい、は同じだ。

「今日はこれで我慢してくれよな」

 千尋は涙声で「これでいい」と言う。

「だってこれ、神崎の字だろ? このおめでとうって。怪我してるのに……ありがとう」

「まぁ、俺のせいで五十嵐、女装する羽目になったわけだし……こんくらい当然だって」

 大切にする、と千尋は言う。紙製のメダルを、宝物のように千尋は両手で包んだ。

「なぁ、五十嵐」

 千尋の頬に手を添えた。なんとなく照れくさい。雰囲気で察しろ、などと恋愛初心者の千尋には言えないから、改めて言葉で許可を得る。

「……キス、していい?」

 わかりやすく千尋はうろたえた。あれこれ考えているのが、手に取るようにわかる。靖男は黙って千尋の答えを待った。焦らなくていい。できる限りの優しい目で見つめた。

 千尋がゆっくりと目を閉じたのが最終的な了承の合図で、靖男は、その部分だけは色あせずに残った赤い唇に、己の唇で触れた。

 ファーストキスよりも、きっと、靖男の心に鮮やかに残るキス。誰もいない体育館のギャラリー。少し埃っぽいのが、より一層、ノスタルジックだ。夕焼けの色を見る度に、靖男はこの日を思い出すに違いない。

 唇が離れると、千尋は「ふふ」と笑った。

「何?」

「いや……キスは、初めてだなぁ、と思って」

 それ以上のことはたくさんしたのにね、と千尋は言う。

「でもキスしてくれたってことは、俺のこと好きでいてくれてるんだなぁ、って思うよ」

 最初は、苛立ち紛れに無理矢理だった。でも今は違う。

「好きだよ、神崎」

 その言い方が可愛かったから、靖男は今度は、何も聞かずに千尋の唇を奪った。二度目のキスで舌を入れるのはまずいよなぁ、と思いながらも、名残惜しく、長く唇を触れ合わせていた。

11-2話

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