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<51話
日高の呼吸の乱れを敏感に察し、早見が背を撫でてくれる。
「どうした?」
「こんなに幸せでいいのかな、って」
たったそれだけの言葉で、早見は日高の内心を理解してくれる。真剣なまなざしで、「お前の罪は、お前だけの罪じゃない」と言う。
あちらに日高が逃げてきたからこそ、早見の孤独は埋められたのだから、自分も共犯である、と。
「それに」
「それに?」
「お前が消してしまったのは一人だが、俺は二人、あの世界から消したぞ」
黒崎家の長男として生を受けたはずの、実の名も知らない赤ん坊。
それから、ベストセラー作家の早見岳を。
あちらの世界の住人は、二度と早見岳の新作を読むことはない。それは、業界やファンにとっては大きな損失に違いない。
「お前の罪は、俺が半分背負う」
「早見さん……」
「だから、ともに幸せになることを、怖がらないでほしい」
これから家族になるのだから。
抱き締めてくれた早見に、日高は背伸びをして口づけた。
二人しかいない冬の湖は、どこまでも透明である。そんな静謐な空間で、少しばかり盛り上がり、何度もキスを繰り返していた日高たちだったが、聞こえてきた声に、ハッとした。
――キューン、ワンッ。
「今のって……」
力が抜けた早見の腕を振りほどき、日高は声のする方へと走る。慌てて早見も追ってくる。声の主もまた、足音を聞きつけて、こちらに向かってくる。
「ワオーン!」
一際大きな声を上げ、大きな毛玉は日高の足元にタックルした。尻尾がぐるぐると大きく回り、喜びを全身で表している。
「まさか……メレンゲ?」
「ワンッ!」
そうだ、と頷くように首を動かしたメレンゲと、早見の顔を交互に見つめる。彼もまた、驚いていた。
「信頼できる飼い主を見つけて、預けてきたんだが……」
作家業のあれこれの手続き以上に、メレンゲの新しい飼い主探しに時間がかかり、こちらの世界に来るのが遅れたと話していたくらいである。
預けてからも、何度か顔を出し、可愛がられているのを確認していた早見は、「お前も日高を追いかけてきたのか?」と、話しかけながら頭を撫でる。
当然だろ、と得意げな様子で鼻を鳴らしたメレンゲを抱き締めると、日高の目からは涙が落ちた。
「そうだ……そうだよな。メレンゲも、家族だもんな……」
湖の神様の加護は、自分たちに惜しみなく注がれている。
日高が涙目で早見を見上げると、彼は困った顔を装って言った。
「マンションじゃなくて、戸建てを買わないとな」
メレンゲのためだけじゃない。これから生まれてくるだろう、新たな命のためにも、大きな家を買おう。子どもと犬が思う存分走り回れるような、広い庭つきの。
嬉しそうな早見の言葉に、日高も大きく頷いた。腕の中のメレンゲは、よくわからない顔をしているが、主人たちの喜びは伝わっているらしい。
彼の尻尾は、日高の腕に叩きつけるように、忙しなく揺れていた。
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