迷子のウサギ?(11)

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10話

 学部生ではないので自分の勉強を進める傍らで、俊はアルバイト代わりに大学でチューターを務めている。チューターというのは主に大学一年生や留学生の生活やレポート作成の相談などに乗る人間を指す。心理学科に属しており、将来カウンセラーなどを目指す院生は今後の経験のためにチューターを志望する学生が多い。また、拘束時間は短く、土日祝日は確実に休みだ。

 学部時代は人並みに個別指導塾の講師や家庭教師などを行って俊は稼いでいた。が、臨床心理士試験とその後のヒューマン・アニマル・コーディネーター試験という難関に備えて勉強したいと思っていたので、時給と休暇を天秤にかけて、休暇を取った。今はそのときの自分の選択を褒めてやりたかった。

 塾での授業は中高生が部活を終えてやってくる夜に集中していた。遅くまでウサオを一人にしておくことはあまり得策ではない。彼と同居するようになってから、早一か月が経過しようとしている。

 料理本を買い与えてからはめきめきと料理の腕を上げて、「俺って才能ある!」と自信満々だ。昼間はクッキーを焼いたりしているのだが、元々の「食えりゃいいんだよ!」という大雑把な部分が災いして、菓子作りの才能はいまだ開花していない。

 日々の生活を楽しんでいるのはいいのだが、けれどやはり、外に自由に出歩けないのは、大きな負担となっている。それを払拭するように筋トレに励んでいるのも、運動が不得手で身体を構成しているのが骨と皮の部分が多めのひ弱な俊としてはいただけない。付き合わされる身にもなってみろ、と筋肉痛の腕を擦った。

 図書館内に設けられたチュータールームは、相談に来た学生がいなければ、静かにしていれば何をしてもいいことになっている。家では最近まったく進まなくなってきたレポートを仕上げてしまおう、と俊は持参したモバイルを開いた。そのとき扉が乱暴に、がらっと開いた。下級生か、と入口を見てそうではなかったので、そのままレポートに集中しようとする。

「おい。無視すんなよ」

 大きな掌がモバイルの蓋をいきなり閉じるものだから、危うく手を挟むところだった、と俊は闖入者を眼鏡越しに睨みつける。やって来た男は俊の目線など痛くも痒くもない、とにやにやしている。この男はキャンパスライフに悩む学生などではなく、俊の旧知である。決して仲良しこよしというわけにはいかないが。

「何か用でもあるのか?」

 こちらにはこれっぽちもないぞ、と主張すべくモバイルの蓋を再び開ける。視線を合わせない。この男は大学でも有名人だった。勿論、よくない意味で。彼に巻き込まれたせいで一年のときはひどい目に遭った。

 にしき慎二しんじ。同じ心理学科の学生だった。ストレートで卒業して大学院に進学した俊に対して、錦はまだ大学三年だった。卒業をする気があるのかないのか。噂によればまだまだ単位は足りず、就職活動に向けて何かをしている気配もない。かといってアルバイトに精を出しているというわけでもなく、だらだらと毎日を遊んで暮らしているのは相変わらずだ。

 一年時の基礎演習の発表グループが錦とは同じだった。必要に迫られて連絡先を交換した。現在は電話は着信拒否、メールアドレスは変更したまま教えていないのだが、なぜか錦は大学内で俊を見つけては、ちょっかいを出してくる。だいたい彼が話しかけてくるときは、よからぬことを考えているのだということをすでに知っている。

 だいたい留年している原因だって、俊を巻き込んでカンニングを行ったせいだ。幸いにして俊は自発的に錦に答えを教えていたわけではなく、本当に一方的に巻き込まれただけだということが証明されたが、実行犯の錦は一年の取得単位をすべて没収されたのだ。

「最近つれないじゃん?」

「最近だけじゃないだろ。俺はお前と付き合う気は一切ないんだ」

 へっ、と錦は鼻で笑い、どっかりと俊の前の椅子に腰を下ろした。長居をするつもりだ。時計を確認すると、勤務終了時間まであと一時間はある。その時間が過ぎるまでは、ここにいなければならない。憂鬱だ。

 チュータールームに入ろうとした女子学生が、錦の姿を見て一瞬動きを止め、回れ右で逃げ出した。それほどまでに錦の悪名は学内に広まっている。

「がっこの中で見かけても妙に急いで家に帰ろうとしてね?」

 そんな風に見えているのか、と思った。家に帰ってウサ耳男の相手をしなければ、と行動しているだけなのに。確かに最近は、料理も上手くなってきたから「今日の夕飯はなんだろうな」と考えているのも事実ではあるのだが。

「もしかして彼女でもできたんか?」

 お前なんかに、という台詞が透けて見えた。錦は俊のことを小馬鹿にしている。大学に入れればそれでいい、という錦と将来の目標に向けて努力を欠かさない優等生の俊とでは、気が合うなんてことは万に一つもない。学業以外は自分の方が上だ、と錦は思っている。別にそれは構わないし、事実そうだろうと俊は思う。けれどならば放っておいてほしいのに、向こうから近づいてくるのはどうしてだろう。

「お前、コーディネーターとかいうの目指してんだよな? 動物人間的な」

 一般人の認識なんてそんなものだ。彼らがどんな境遇にいるかを知ろうともせずに、風俗で労働させられている動物人間だと思っている。自由意志によってそれを選んだかのように錦も考えているに違いない。性サービスを行うためだけに生み出され、そして差別されるヒューマン・アニマルへの理解はなかなか進まないのが現状だ。

「すげー金になんだろ、あれ。だからさ、コーディネーターになったらちょちょっと俺に貸してくんねぇかな、その動物人間」

 コーディネーターの仕事内容すら根本的に誤解している錦に対して、正しい説明をするつもりは毛頭ない。この男には馬耳東風だ。金儲けのことしか考えていない。最低だ。

 俊は無視をしてキーボードを叩き続けた。早く時間が過ぎてしまえばいいのに。そうしたら勤務終了を口実に、家に帰ることができる。

「おい、聞いてんのかよ」

 凄みをきかせた声だが、本物のヤクザとは違うチンピラもどきの錦へと、俊が恐怖心を抱くことはない。よほど笹川の無表情の方が怖い。

 バン、と錦が強く机を殴っても、俊は動じなかった。弱い犬ほどよく吼えるのだ、と知っていた。ただ錦の顔を一瞥すると、憤怒の表情を浮かべていた。

「……てめえ、覚えてろよ」

 やはり三流の男だ。ずかずかと大股で出口へと向かい、扉を乱暴に開け閉めして出ていく。その音に驚いて肩を竦め、厄介なことになりそうだ、と俊は溜息をついた。

 錦のことなど忘れてしまおう。楽しいことを考えよう。あと三十分で帰宅できる。今日の夕飯は鍋だと張り切っていたウサオのことを思い出す。冬の気配が濃厚になってきた十一月、鍋の温かさが恋しい時期だ。俊の腹がきゅう、と鳴って誰もいない部屋に響いた。

12話

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