迷子のウサギ?(21)

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20話

 ウサオの方は逃げたときに腕や足をぶつけただけで特に目立った外傷はなかったが、俊は殴られたときに頭を打ち付けていた。首を絞められるという暴力を受けたこともあって、検査および大事を取って、一日入院をすることになった。

「でも、ウサオが一人に……」

 わだかまりも解けて素直に友人同士になった俊は、ウサオを気遣う。ウサオも俊の横から離れようとしない。そんな二人の様子に笹川は溜息をついて、ウサオの頭をがしっ、と鷲掴む。

「痛いっ! 痛い痛い痛いっ!」

「安心しろ。一晩俺が預かる」

「笹川さんが?」

 俺では不満か、と鼻を鳴らす笹川に対して俊とウサオは滅相もない、と首を振った。俊は内心で、「それなら最初からウサオと笹川が同居してもよかったのでは……」と思ったが、おくびにも出さなかった。

 結局ウサオは笹川の家に連れて行かれることになり、俊は高山の車で病院に行くことになった。今日は二人のストレスやショックを鑑み、また、ウサオが警察に出向くのは現実的ではないとして、事情聴取は後日に持ち越されることになった。

 車に乗ってもウサオは俊の怪我のことが心配だった。そわそわと落ち着かない様子のウサオを、笹川は適度に放っておいてくれた。必要なこと以外は話さずに、小さな音でラジオをかけた。

 たどり着いたのは笹川のイメージにしっくりと馴染む、小奇麗なマンションだった。俊のアパートとは全然違う外観に、ウサオは警戒心を抱いたのか、緩いスウェットの下の尻尾はぴん、と立っていた。

「いいか、ウサオ……この部屋で見聞きしたものは一切口外しないこと」

 オートロックを解除して、エレベーターに乗っている間、笹川はウサオに忠告した。半ば命令であるともいえる。その顔には「余計なことを言ったらどうなるかわかっているな」と明確に書いてあって、ウサオはこくこくと何度も頷いた。この手の人種は怒らせないに限る。

 扉を開けた瞬間に、だだだだだ、と音がした。子供や犬が駆け寄ってくるにしては随分大きな足音だ。

「おかえりっ、こーすけっ!」

 どすん、とものすごい音が横からした。あまりの素早さにウサオは飛んできた物体がいったい何なのかわからなかった。笹川はあらかじめ予期していたのだろう、どっしりと構えて抱き留めていた。

 突進してきた塊は大型犬か何かだと思ったのだが、よく見るとそれは人型をしていた。一八〇センチあるウサオと同じくらいの背丈で、けれど体つきは一回りほどガッチリして大きい。

「おかえり、おかえり!」

 おかえりなさいの挨拶のキスにしては濃厚な――むしろ舐める勢いで――出迎えをしている男の姿をよくよく見ると、彼はヒューマン・アニマルだった。犬の耳と尾を持っている。

 驚いて固まっているウサオを見て、笹川は男を力づくで引き離した。

「こら、ポチ。お客さんだぞ」

 ポチ、と呼ばれた青年を叱る笹川の声は、なんとなく優しい響きを持っているような気がしてウサオにはならなかった。ポチは笹川に言われて初めてウサオの存在に気づいたように、目をぱちぱちと瞬いた。鼻をひくひくと蠢かせる。

「おきゃくさん?」

「そうだ。今日はお泊まりだ」

「おとまり! おとまり! やったぁ!」

 笹川にじゃれついていたポチはぱっと顔を輝かせ、ウサオに抱き付いた。その瞬間、ウサオは硬直する。驚いたからではない。明確な恐怖心にょるものだった。

 平均的サイズよりも少し大きい自分が、ウサギ耳であるという理由だけでレイプされそうになった。外傷はないが、そういう問題でもないらしい。生理的な反応に驚いているのは、目の前で怪訝な顔をしているポチよりも、自分の方だ。

 笹川はウサオの恐怖を理解して、ポチをたしなめる。

「お客さんに抱きついていいって誰が言ったんだ、ポチ?」

 声のトーンが割と本気で怒っているということを察したポチはきゅうん、と鳴いてウサオから離れた。

「おこってる?」

 問いかけは笹川に対してではなく自分に対してだと瞬間遅れて気がついたウサオは、慌てて首を横に振って否定した。

「いや、驚いただけ……」

 よかったぁ、と肩の力を抜いたポチは、見た目通りの力強さでウサオの手を引いた。つんのめりそうになりながら、ウサオは靴を脱ぎ捨てて――俊によく「靴くらい揃えろ」と怒られるのだが、今回は俺は悪くない――、ポチに連れられるまま、リビングへと通された。

 ソファにでも座っておけ、と笹川に言われてその通りに腰を下ろした途端、ポチが上に乗りあげた。壁に押さえつけられた恐怖を思い出して、ウサオは震える。壁ドン、なんてテレビで見たときにはそんなのが女の間ではときめくポイントなのか、と思ったが、そんないいものじゃない。力づくでどうにかされてしまうのは、怖いことだ。

 ――大丈夫。この子はそんなことしない……!

 言い聞かせながら深呼吸をして、ウサオはようやく落ち着いた。同時に、自分よりも年上に見えるポチのことを「この子」扱いした自分に苦笑する。ポチは幼児のようにウサオに甘えた。

「うさぎさん?」

 ポチの質問に何と答えていいのかわからずに困惑していると、笹川が「ウサオだ」と助け船を出してくれる。自分の問いには何一つ答えてもらっていないということにポチは気づかずに、「ウサオ! ウサオ!」と楽しげにじゃれついている。

「あそぼ? あそぼう?」

 それを横目に見て笹川は夕飯を作るつもりらしく、エプロン――失礼ながら似合わなさそうなパステルピンクだ――を手にキッチンへと引っ込もうとしているので、ウサオは「俺、手伝う!」と立ち上がりかける。しかし笹川はそれを制した。

「いい。それよりもポチと遊んでやってくれた方が助かる」

「でも」

「……自分の食うものが減ってもいいなら手伝いにきてもいいぞ」

 笹川の謎の言葉にウサオは首を捻っていたが、すぐに「あ」と気がついた。ポチがキッチンをうろうろしていると、いつの間にか食材が減ってしまうのだろう。ポチを見ると、わかっているのかいないのか、「えへへ~」と笑っていた。

22話

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