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<21話
ポチは興奮した様子だった。あまり来客がないのだろうな、とウサオは思う。笹川は明らかに、ポチの存在を隠している。
夕飯を堪能したポチはすぐに横になって、すぴょすぴょと間抜けな寝息を立てて居眠りを始めた。この原始的な様子、幼稚園児のような挙動。普通のヒューマン・アニマルではないことは、ウサオもわかっていた。施設にいたヒューマン・アニマルたちは皆、外見に見合った知性を持っていた。
泊めてもらう礼だと言って無理矢理キッチンで皿洗いを手伝うと、コーヒーを淹れた笹川が、ウサオのことを待っていた。ありがたくいただいて一口飲む。
「笹川さん……ポチは……」
その後に何を続ければいいのかわからずに口を噤んだ。聞きたいことが多すぎた。
どうして、施設ではなく笹川と共に暮らしているのか。
どうして、幼子程度の知能しかないのか。
笹川はポチをどのように扱っているのか。そしてそれは、許されるのか。
「あれは馬鹿犬でな」
淡々とした語り口だった。あれ、というひどい言いぐさだがその声にはこっそりと愛情が練りこまれているように感じたウサオは何も言わなかった。
「アニマル・ウォーカーの家でも問題ばっかり起こして、その後施設にも一度連れていったんだが、やっぱり駄目だった。だから俺が、飼っている」
「飼うって……」
それは許されない、とウサオも知っていた。俊の勉強を横から覗いていた。心理学は心理テストにしか興味はなかったが、ヒューマン・アニマル・コーディネーターになるための勉強は、不本意ながら自分にも関係があることだったので、わかりやすくかいつまんで説明をしてもらったのだ。
大前提として、ヒューマン・アニマルは亜人類として位置づけられるが、動物ではなく人間なのだ、と俊は教えてくれた。ウサオと違い生まれつき動物の特質を持って生まれたヒューマン・アニマルであっても、彼らは人間だ。だから人間として扱わなければならない。
ならば施設に入れるのはおかしいんじゃないか、とウサオは食って掛かったが、俊は首を横に振った。難しいのだ、と。
ヒューマン・アニマルは人間だから、ペットにはできない。家に迎え入れることは難しい。ごくまれに「家族になろう」と養子縁組を申し出る家庭もあるそうだが、それをヒューマン・アニマル自身は固辞して、施設へと入るのだ、と。なぜだかわからないけれど、と俊は言っていた。
それなのに、コーディネーターである笹川がポチのことを「飼う」と表現したのが違和感しかなかった。俊が知ったら絶句するだろう。笹川はウサオの内心を悟っているように自嘲の笑みを唇に刻んだ。
「わかっている。だがあいつは、俺からの気持ちを、ペットへの愛情だとしか認識できない」
「……どういうこと」
「ある意味あいつは、お前と同じだよ」
お前は身体を弄り回されてヒューマン・アニマルになてしまったけれど、ポチはヒューマン・アニマルとして生まれた上、成長しきる前に脳を弄り回された。
違法に生み出されるアニマルたちはそのほとんどが、性風俗店で労働させられる。
「逃げないように、快楽だけを追うことができるように、ポチは脳手術されて、知能に障害が残った」
それゆえに施設では何の役にも立てずに、いじめられて泣いていたのだ、と笹川は語る。
「ヒューマン・アニマルの中でもいじめなんて、あんの?」
驚いて聞き返すと、何を当たり前のことを、と言われてしまった。
「お前はヒューマン・アニマルをなんだと思っている?」
「え、なにって……猫とか犬の耳とか尻尾持った、人間……?」
「そうだ、『人間』だ」
人間だからこそ、自分と異質なものを排除する。何もできない役立たずには苛立ちを覚える。犬だとか猫だとか関係ない。人間だから、どんなにひどいことであっても自分の居場所を守るためなら、自分自身の立場を守るためなら、なんだって、する。
「利己的で、自分がぎりぎりのところで他人には構っていられない、そういう『人間』でしかないんだ」
可愛らしい耳や尾から、ヒューマン・アニマルを幻想にしてはいけない。彼らはそれぞれで個性も性格も異なる人間だ。ヒューマン・アニマル同士、そして人間との相性もあり、人間関係の摩擦だって、生じる。
「あいつは俺のことを、あくまでも『ご主人様』だと思っている。一緒に暮らし始めてからしばらくは、そう呼んでいたし、今でも時折そうやって呼ぶ」
その度に心が抉れるのだ、と笹川は溜息をつくように呟いた。ウサオという聞き手のことはもう、どうでもいいのかもしれない。
それはまるで、懺悔のようにも見えた。聞いている相手が誰だってかまわない。ただ、自身の気持ちを喋らずにはいられないようだった。ウサオは黙って笹川の話を聞く。笹川のコーヒーは手がつけられないままに、冷めていく。
「ポチは俺が求めようとも、対等な家族にはなれない。なってくれない。向こうが飼い犬だと思い込んでいるのだから、『飼っている』としか言いようがないだろう」
眠りこけているポチの頭を、笹川は撫でた。愛だな、とウサオは思う。それが家族愛なのか、男女の恋愛のようなものなのかわからないけれど、まぎれもなく愛だと感じた。
そしてそうやって愛されるポチが、羨ましいと思った。自分のそんな心の作用にウサオは驚く。愛されたいのか、俺は。誰に? 誰とこんな関係を築き上げたいというんだ。
「……まぁ法に触れる可能性がある行為なのは否めないからな。ポチは外に出してやれない。だからたまに遊びに来てやってくれ。自分よりもでかい男は怖いかもしれないが。送り迎えくらいはするから」
じっとこちらを真摯に見つめて依頼する笹川に、ウサオは嫌だと言うことなどできないし、第一そうするつもりもない。確かに最初は驚いたし怖いと思ったけれど、五歳児くらいの知能しかないポチの笑顔は無邪気で、遊んでいると嫌なことも忘れられたのだ。
そう言うと、笹川は「アニマルテラピーだな、まるで」と苦笑した。彼の手元ではポチが気持ちよさそうだ。次第に意識が覚醒しはじめたらしく、とろんとした目で笹川を見つめている。
「起きたのか?」
「わふぅ……」
寝ぼけ眼を擦ったポチを笹川は抱き起こした。ぱちぱちと目を瞬かせて、眠ってまた元気を取り戻したポチは「あそぼう、ウサオ」と言ってくる。いいよ、と頷くとポチは嬉しそうだ。
「何して遊ぶ?」
「ええっとね……かくれんぼ!」
これには笹川もクールな仮面をかぶり切れずに、噴き出した。一八〇センチ越えの男二人でかくれんぼはなんとも不毛だ。広い部屋だと言っても、さすがに隠れられる場所は限られる。
「……他のにしない?」
「やだ!」
ポチはやはり、子供のように頑固である。
>23話
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