愛は痛みを伴いますか?(32)

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31話

 空いている座席を見つけて荷物を置き、ほっと一息つく。早速テキストとノート、電子辞書を取り出して開いたところで、「あ」という声に顔を上げた。

 聞き逃してしまいそうなほど、小さな声だった。それでも雪彦の耳はキャッチしたし、何よりもその声が、自分に向けられたものだと認識した。他の誰かの声じゃない。ずっと隣にいて、これからもいてほしいと思った男の声だったから。

「く」

 葛葉、と声を上げようとして、ここが図書館だということを思い出した。幹也もまた、思わず出してしまったのだろう。口元を押さえて、さっと背中を向けた。逃げようとしたって、そうは問屋が卸さない。瞬発力や敏捷性では雪彦の方が勝っている。すぐに捕まえて、ずるずるとトイレまで引きずっていった。

 ここが図書館でよかった。基本的に、自分のやるべきことに集中している人間ばかりなので、あまり注目を浴びずに済んだ。

 幸いなことに、トイレには先客がいなかった。ここなら、小声であれば少しくらい喋っていても許される。

「葛葉」

 なるべく穏やかな声を出したつもりだった。けれど、幹也は肩をびくりと震わせて、目を伏せた。悪者になったような罪悪感が込み上げてくるが、どう考えても自分は悪くない。雪彦は首を横に振った。かといって、幹也が悪というわけでもない。

 彼は何か思い悩んで、雪彦から離れようとしている。それが雪彦のためだと信じている。独りよがりな親切心に、雪彦は腹が立つ。

「何かあったのか?」

 幹也は瞳を揺らした後で、微笑みを浮かべた。ポーカーフェイスを装っている。親しくない相手と対峙するとき、だいたい彼は笑っている。鈍感な人間は笑顔を好意と受け取るから、幹也にとっては最良の手段だった。

「別に、何もありません」

 その笑顔を俺に向けるな。

 俺はお前にとって、赤の他人なのか。

 雪彦は衝動のまま、壁に幹也を押しつけた。不意を突かれた幹也は、抗うことを忘れる。その隙に、彼の顎を掬い取り、キスをした。夢みていたように、下唇を柔らかく噛み、幹也への想いを刻む。驚いている幹也の舌は素直に絡めとられるがままに応じて、たぶんこの男の身体の中で、唇は一、二を争う素直なパーツなのだと思った。

「……好きだ。だからお前の力になりたい」

 唇を離し、呆然とした幹也に囁いた。逃げなかったし、舌を噛み切られなかった。幹也の気持ちも自分に多少なりともあるのだろう。やはり、何か懸念する事項があるせいで、雪彦を避けているだけだ。安心させるために、幹也を抱き締めようとした。

「やめて!」

 トイレの中とはいえ、図書館で出すには大きな声に、雪彦は怯んだ。幹也は雪彦の身体を突き飛ばした。ごく弱い力だったが、衝撃で固まっていた雪彦は、簡単にバランスを崩す。

「俺はっ、雪彦さんのこと、好きじゃ、ありませんから!」

 一個一個区切って、はっきりと彼は言い聞かせる。誰に? 幹也自身にだろう。だって、彼の顔は泣きそうに歪んでいる。嫌いな相手にキスをされたのなら、もっと怒りの感情が滲み出るはずだ。

 ドタバタと出ていった幹也のことを、雪彦は追おうとする。けれど、タイミング悪くトイレに入ってきた学生がいて、ぶつかってしまった。彼に謝罪をしているうちに、幹也は図書館から逃げ出してしまった。

33話

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