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<2話
「そう、まるでゴキブリみたいな男よ……!」
「姉ちゃん姉ちゃん。それ、たとえがさすがに悪すぎる」
同じ男として、その相手に多少同情した。
佐伯遼佑、と自己紹介した男は、顔だけの男だった。人を見る目は確かな姉曰く、「頭の中身はすっからかんで、いかに女を落として美味しくいただくかしか考えていない」、そういう人種だ。
困り顔で柔らかく拒絶の意を示す静に対して、遼佑は「いいじゃん」「固いこと言わずにさ」「可愛いね」を連呼した。
「知能指数が低すぎて、頭痛がしたわ」
こうなってしまうと、姉の被っている猫は、逆効果にしかならない。自身のお嬢様のイメージを崩すことができないのだ。素の状態であれば、上品な口調で罵るという器用なことをやってのける静だが、猫かぶり状態では不可能だった。
「で、結局どうしたのさ」
「デートすることになったわ」
静がそこまで押し切られるとは珍しい。そんな芸当をやってのけた男に、薫は興味を引かれた。
「度胸あるじゃん。どんな奴?」
簡単な説明を求めただけだったのだが、溜息混じりに姉は、爆弾発言を落とした。
「ああ、そろそろ電話かかってくるわよ。あんたの番号、教えておいたから」
「……へ?」
「だから、あまりにもしつこいから、デートもあんたに行ってもらおうかと思って。どうせ暇でしょ? お小遣いあげるから、行ってよ」
薫と静は幼い頃、双子の姉妹のようだと言われていた。アーモンド形のぱっちりとした目に、小さな唇は天使のようだとさえ形容された。そして悲しいことに、薫は成長しても、さほど男らしくならず、美少女然としているのである。
よって、メイク次第で瓜二つに顔を作ることも可能だ。しかし、さすがに脚を切ることはできない。静と薫は十センチの身長差がある。
「そんなの、ぺたんこ靴履けばいくらでも調整できるわよ」
事もなげに、姉は言い放った。
「や、会ったことない相手だったら騙せると思うけど……今日会った相手でしょ? さすがに無理なんじゃ……」
どうにかして断ろうとあれこれ思考を巡らせていると、充電したままのスマートフォンが、着信を告げた。
「ほら、噂をすれば、よ」
見知らぬ携帯番号からだった。早く出なさいよ、と静は顎で命令し、「疲れたからお風呂はーいろ」と言い残して、薫の部屋から出て行った。
姉というのは、理不尽さの塊だ。男子校ゆえに、同級生たちからは、「美人の姉ちゃん、うらやましい」と言われるが、熨斗をつけて差し上げたいくらいだ。薫は静に、一度も勝てたためしがない。
出ない、という選択肢はない。静は確認してくる。スマートフォンを手にして、しばらく待ってみる。このまま迷っていたら、諦めてはくれないだろうか。
しかし、振動は止まない。そして、あの静を閉口させるほどのしつこい男ならば、一度切れたとしても、きっと何度もかけ直してくるに違いない。
嫌な用事は早めに済ませるに限る、と薫は喉の調子を整えて、電話に出た。
「……はい」
普段の声よりも高く作った女声は、姉のものと相違ない。薫の特技は、「声帯模写」だ。特に静の声は、幼い頃から何度も真似をしてきたので年季も入っている分、完璧に模倣できる。
電話の相手も違和感を覚えることなく、「さっきの飲み会で一緒だった、佐伯です。椿山さんの電話で、大丈夫?」と話を続けた。
「ええ、はい……静、です」
電話の向こうの声が、ぱっと明るくなった。
『よかった。合コンのときにあんまり乗り気じゃなさそうだったから、出てくれないかと思ってた』
出たくなかったんですがね、こっちは。
そう思ったが、言わなかった。姉に怒られる。彼女は、自分のイメージを勝手に崩されることを、何よりも嫌う。
遼佑の話は、くだらないと切って捨てることができる類のものだった。静の言うとおり、頭がからっぽなのだろう。
最初のうちは緊張して、丁寧に対応していた薫だったが、次第に飽きてきて、漫画の続きを読みながら生返事をしていた。「あら」とか「はぁ」という、便利な相槌を多用して、実際のところは何も聞いていなかった。
『それで、デートの日なんですけれど』
「そうなんですか~……って、は、え、ああ、はい! で、デートですね!」
うっかり重要な話までも聞き流すところだった。遼佑は、薫の応対をおかしいと思う様子もなく、普通にデートの日取りを決めていく。
『静ちゃんの大学も、もう春休みなんだよね?』
「ええ、はい……」
遼佑は、一方的にデートの日時と待ち合わせの場所を告げると、電話を切った。時計を見ると、四十分経過していたが、実のある話はなかった。ひとつも思い出せない。
凝り固まった首や肩を、ぐるりと回して解していると、風呂から上がった姉がやってきた。
「どうだった?」
「一言で言うなら、強烈! って感じ」
「でしょ? もう最低よね!」
静はナンパ野郎だの、イケメンだけど、なんかスケベっぽいのよね、だのと文句を並べ立てていたが、薫の見解とは少しずれている。
女慣れをしているように見せかけて、その実、彼は女心なんかひとつもわかっちゃいない。相手への気遣いというものが、圧倒的に足りていない。
いきなりのなれなれしい態度もそうだ。それを喜ぶ女もいるだろうが、静のようなタイプは嫌がるだろうということを、彼はちっとも理解していない。
静個人を見ておらず、「女」という一括りにしているだけだ。対人スキルとしては、最悪なレベルだ。これでどうやって女を落としてきたのだろうか。
>4話
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