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<2話
「本当は、入る気でいたんだよ。でも、中から若い女の子が出てきて、怖気づいちゃったんだ」
若さは男女限らず、恋愛における一種の武器だと海老沢は思う。恋で深手を負ったことがないから、失恋しても吹っ切れるのが早い。自分からぐいぐい積極的にアプローチができるのは、そのせいだ。
海老沢には、彼ら彼女らが眩しい。彼らと同じ年頃のときは、田舎の大学で寮生活を送っていたため、甘酸っぱい思い出などというのもない。
セクシュアリティもわからぬ思春期に、女子と付き合ったのはノーカウントとして、初めての恋人は、会社勤めを始めてからだった。なりふり構わないアタックは、常識がストップをかける分別がすでについていた。
「優くんはバイじゃないから、女の子の誘いには乗らないよ」
ママからの有力な情報提供を、海老沢は明日まで覚えていられないだろう。口当たりのいいドリンクは、アルコールだということを忘れさせる。
「うん。でも僕はね、彼よりもずいぶん、年上だから……」
『なんだ。オッサンじゃん』
酔うと現実と妄想の境目が揺らぐ。幻滅した声は、優のものではなくて、元恋人のものだ。二十九歳で出会い、三十歳の誕生日に別れた。当時、二十歳になるかならないかの、あどけなさを残したやんちゃな青年。そこが魅力的だった。
「エビさん、そんな年じゃないでしょうに」
ママは慰めてくれるが、海老沢は首を横に振った。年齢不詳の童顔は、威厳に欠けるが、肌質はアラフォー相応だ。脂ぎった方じゃないだけ、まだマシか。乾燥肌は年々ひどくなるばかりだが、化粧水を使うなどの手入れは、なんとなく気が引ける。
この顔に、かつての恋人は「騙された」とひどく憤慨した。それまでも話が噛み合わないことに、疑問を感じていたのだろう。海老沢が「今日、誕生日なんだ」と年齢を告げた瞬間、
『俺、オッサン無理なんだよね』
と即座に振られたのである。最低の誕生日はトラウマとなり、その後海老沢は、恋愛に対してひどく消極的になってしまった。何せ、「いいな」と思う相手はたいてい、年下だったので。
「優くんっていくつだっけ?」
「えっと確か、大学のときにうちの店で働くようになって……今年で二十五?」
干支一回り下の相手が、自分を恋愛対象にするとは思えない。海老沢はサングリアを飲み干し、「おかわり!」とやや荒っぽく注文した。
「それ以上は」
「飲む!」
ママの制止を振り切り、海老沢は杯を重ねていく。あーあ、と言いながらも、他に客もいない。仕方なく、彼は海老沢の愚痴に付き合うことにしたらしい。
「せめて、年が釣り合うくらいだったなら……」
「勇気は出そう?」
「ん……」
はっきりとした答えではないが、海老沢は小さく頷いた。少なくとも、店の前で怖気づいて逃げ帰ったりはしないし、プライベートでも会いたいと誘うことくらいは、できるはずだ。
過去、傷つく前に付き合った恋人とは、どちらからともなく近づいた。お互いに好意を抱き合い、隠すことはなかったが、実際に告白をしたのは海老沢からだった。
最初から、こんなに臆病だったわけじゃない。
「エビさん。こっち見て」
熱っぽくてぼーっとする頭で、何も考えずにママの言葉通りにした。覗き込んでくる目は、瞳と虹彩の色合いの区別がつかないくらい、真っ黒だ。海老沢は彼から目が離せない。
「エビさんに、魔法のキャンディーをあげるよ」
「まほう……」
目の前に差し出されたガラス瓶の中には、確かに色とりどりのキャンディーが入っている。
「一つ舐めると、エビさんは二十歳の頃の自分になれます。効果は三時間」
朦朧とする意識の中、はっきりとママの言葉だけが聞こえ、脳に刻み込まれていく。繰り返し、「一つ」「二十歳」「三時間」のワードが刷り込まれる。
パチン、とママが指を鳴らした瞬間、驚いて肩を跳ね上げた。はい、と手渡されたガラス瓶をじっと見つめる。
「ママは、魔法使いだったのかぁ……」
酔いは覚めていない。海老沢の言葉は幼い子供の独り言のようで。
「ま、似たようなものだね。俺が魔法使いってことは、内緒だ」
本当の母親のように、ママは人差し指を立てて、「しーっ」と、海老沢に言い聞かせた。
>4話
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