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<12話
ベリルを拾ってから、あっという間に二ヶ月が経とうとしている。
短い秋は過ぎ、先日はとうとう霜が降りた。収穫期が終われば、貴族たちの社交シーズンの冬だ。
最初に開く夜会は、竜王の主催と決まっており、セーラフィール竜王国の貴族がほとんど全員、王宮の広間へと集う。シルヴェステルはそこで、ベリルを妃だと公表するつもりでいた。
記憶がなく、当初は文字さえ読めなかったベリルだが、歴史や宗教、政治経済について、必要以上によく学んだ。さらに貴族名鑑の暗記にも挑んでいるようだが、果たして当日までにどれほど覚えることができるだろう。カミーユが主だった家系に印をつけているだろうから、最低限そこさえ頭に入っていれば、上々だ。
各領から上がってくる税収の報告を、帳簿と照らし合わせて確認するのは、財務省の官僚の仕事だが、シルヴェステルが何も知らなくていいということはない。
実際、見過ごされた(あるいは見逃された)不正に気づいたこともある。歴代竜王の仲でも、一、二を争う勤勉さを自負するシルヴェステルだが、忙しい合間を縫って、ベリルの衣装の採寸や意匠を話し合う場には、極力立ち会うようにした。
正装はジャケットにタイが必要だ。シャツもゴージャスに、襟や袖口にフリルがたっぷり使われている。試しに既製品に袖を通したところ、ベリルは動きづらいと情けない声を出したが、こればかりは我慢してもらわなければならない。
白い生地に、竜の紋章を刺繍するための糸は、白銀。一見すると目立たないが、極上の細糸は、会場の灯りを反射して光り、ベリルを彩るに違いない。カフスボタンは空の色を固めたようなターコイズを使っている。
竜王国では、新郎が新婦を自分の色に飾り立てることが一般的だ。自分のものであると、対外的に示すのである。よって密通は重罪であり、妻の方がより厳しい懲罰を受ける場合が多かった。あれだけ飾られて、夫の色に染まったはずなのに、裏切るなど到底許されないからだ。
もっとも、ベリルが浮気をするとは考えていない。ジョゼフとかいう人間族の男との付き合いは、確かにシルヴェステルをやきもきさせた。しかし、ベリルの方から夜会を境に控えると申し出たので、信じることにした。
「いよいよ三日後、ですね……」
夜着に身を包み、ベッドの上でベリルは膝を抱えた。これまで限られた者としか交流がなかった彼が、否応なしに権力争いに巻き込まれる。
直接政を執っているのは宰相を筆頭に大臣だが、最後に裁可の署名をするのはシルヴェステルだ。自分の利権を押し通そうとするならば、媚びを売っておいて損はない。
シルヴェステルに擦り寄るよりも、世慣れしていないベリルに照準を合わせてくる可能性は高い。人間族を無知な愚か者だと侮っているから、先代の後宮に侍っていた妃たちよりも、扱いやすいと思われているだろう。
「大丈夫だ。お前の努力は、私が一番よく知っている」
触れた彼の手はひどく冷たい。ぎゅっと握りしめ、温もってきたところで、シルヴェステルは自分の頬に触れさせた。指先にキスをして、じっと見つめると、ベリルは照れて下を向いてしまう。
「顔を上げて」
強い命令と取られないように、柔らかい声を意識する。俯き加減でこちらに向けられたつむじにキスをすると、ますます頭は下がっていく。
「ベリル。その美しい目を見せてくれ」
おずおずと見上げた目の輝きは、はじらいのために濡れた光を放っている。唇を避けて、髪や頬に口づけを続けてきた結果、拾われた恩以上の感情を向けてくれるようになってきた。決して自惚れではない。
ただ、シルヴェステルの執着に比べれば、彼の気持ちは淡く軽い、雲か霞のようなものだ。
「陛下?」
動きを止めたシルヴェステルに、ベリルは不思議そうに声をかける。彼は何も知らない。相手を損なうほどの独占欲に、シルヴェステルが薄ら寒い恐怖すら感じていることを。
「なんでもないさ。当日が楽しみだ」
頭を優しく撫でて、シルヴェステルは立ち上がった。
初夜までは、同衾するわけにはいかない。これ以上触れていたら、細い首に噛みついてしまいそうだ。
ベリルを壊しては生きていけないのは自分なのに、荒々しい欲望を抑えるのは至難の業。物理的に距離を置くのが、最善策であった。
>14話
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