偽りの魔法は愛にとける(4)

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3話

 久々の飲酒で痛む頭を押さえながら目覚めた、翌土曜日。気怠い身体をソファにだらりと預けた海老沢の手には、昨夜ママから渡された、魔法のキャンディーの瓶がある。

 一つ舐めれば、三時間は二十歳の頃の姿になれる。昔のアニメか漫画であったな、そういうの。まさか、現実世界でこんなアイテムを渡されるとは思っていなかったけれど。

「まさか、な」

 二日酔いだが、今は素面だ。いい年をした大人なので、魔法などというファンタジーを信じることはない。

 でも、これは落ち込む自分を見かねて、ママがわざわざくれたものだ。飴でも舐めて、元気を出せ。背中を押してくれるアイテムには違いない。

 赤いキャンディーをひとつ出して、口に放り込んだ。色からイチゴ味を連想していたが、裏切られる。甘酸っぱい味は確かにフルーツ味だが、じゃあ一体何の果物なのか、というと形容しがたい。一言で言うなら、懐かしい味だ。

 そういえば弟は、ドロップを口にした次の瞬間には、ボリボリと噛み砕くのが常だったな。歯が欠けたのではないかと、母は彼の口の中を覗き込んだが、弟は平気な顔をしていた。逆に海老沢は、いつまでも一つの飴を舐め続けていて、二つ目を食べようとしたときには、缶の中にはハッカ味しか残っていなかったっけ。

 あの頃と同じように、海老沢はキャンディーを口の中を転がし続ける。限界まで小さくなったところで、飲み込む。

「まぁ、一応、ね……」

 魔法は信じていない。信じてないんだけど。

 誰もいないのに、言い訳をしながら立ち上がり、洗面所に向かう。鏡はそこと、風呂場にしかない。たった二十歩ほどの距離を、海老沢は俯いたままでのっそり移動する。

 意を決して顔を上げ、鏡に映った自分を見た瞬間、海老沢は硬直した。自分の肌に触れ、鏡に映る青年が同じ行動を取るのを確認する。

 年齢とともに、やや落ちてきた顎のラインがすっきりしている気がする。鼻の頭に浮いたそばかす(シミではないのだ、断じて!)も薄い気がする。肌は相変わらず乾いてはいるものの、その他の悩みは改善したように見える。

 何よりも、目の輝きが違う。恋愛を諦めて、惰性で生きている腐った目ではなくて、夢や希望を見つめることを許される瞳に、海老沢は高揚する。

「信じられない……!」

 魔法のキャンディーは、本物だ! ガッツポーズをした海老沢は、時計を確認する。午後一時。これから三時間、若い自分を維持することができる。

 三時間だって? あっという間じゃないか!

 寝巻姿のままだった海老沢は、さっそく着替え始めた。今が夏でよかったと、心底思う。

 手持ちのTシャツとジーパンで、若者をなんとか装うことができる。他の季節では、こうはいかない。今の若い子はとてもお洒落で、海老沢の私服でなりすますことは、不可能だ。

 夜喫茶は、海老沢宅の最寄駅から、たった二つ先の駅にある。優からショップカードを受け取ったときには、運命ではないかと内心思ったくらいだ。

 南側は駅ビルがあり、商業施設が林立している。一方で北側は住宅街で、昔ながらの街並みを残している。海老沢は北口改札をくぐった。

 昨日一度来ただけだが、海老沢は地図なしで目的地に向かって進む。入り組んだ道はわかりにくいが、迷うことはなかった。

「あ……」

 たどり着いたのは、二時前だった。ドアノブに手をかけるが、開かない。よく考えれば当たり前のことで、店のオープンは午後七時だった。

 若返った興奮で、勢いのままやってきた海老沢の気持ちが、しゅんと萎える。馬鹿だな、何をしているんだか。見た目は若くなっても、中身はおじさんのままなのに。

 炎天下も相まって、忘れていた頭痛がぶり返してくる。眩暈を覚えた海老沢はしゃがみ込んで、ズキズキと痛む額を押さえた。

「あの、うちに何かご用ですか?」

 どれくらい、そうしていたのか。ずっと聞きたかった低く通る声にハッとして、閉じていた目を開ける。慌てて立ち上がり、

「あの、僕は決して怪しい者ではなく……!」

 と弁解を始めた海老沢だが、急に動いたせいで、立ち眩みがした。ふらつく身体を、とっさの反射神経で支えたのは、紛れもなく彼。

 優くん。口には出さなかった。今の自分は、彼とは初対面なのだから。

「大丈夫?」

「は、はい」

 カウンター越しにしか話したことがなかった。せいぜい飲み物のグラスを差し出されたときに、偶然を装って触れるのが、精一杯だった。毎回だと怪しまれるから、一回の来店で一度だけ。そう決めていた。

 海老沢の不健康な細身の体を支える彼の腕も、胸も、見た目以上に逞しい。顔や声や指、それから客に対する心配りができるところに加えて、彼を好きな理由がまた増えてしまった。

 ずっと抱かれていたいが、そうは問屋が卸さない。

「よければ、店で休んでいって。開店前だから、何もないけど」

 離れていく胸板を名残惜しく思いつつ、海老沢は当初の目標を達成できたことを、密かに喜んだ。

5話

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