業火を刻めよ(10)

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火 ライト文芸

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9話

 一、二、三。

 視界を閉ざした状態で、念じる。跳びたい時間と、場所を思い浮かべる。

 二〇一八年二月一日、時刻は午後三時。場所は、東京都足立区の、龍神之業の本拠地近く。

 時間については正確に跳ぶことができるが、場所については少々自信がない。方向音痴ゆえにか、住所を完璧に頭に入れていても、そこからずれることが多々ある。研究所のトレーナーも、匙を投げたほどだった。

 国内の任務だし、さすがに北海道に到着するということは考えられないので、どうにかなるだろう。エリーは意外と、楽観主義者だった。

 ふわふわと意識が浮く。そうかと思えば、急転直下、重力に引っ張られて、ぐっと押さえられ、締めつけられるような窮屈さを覚える。

 時差ボケとはまた違う、身体の怠さと激しい頭痛に耐えるためにも、一心不乱に数を数える。

 四、五、六……。

 十。

 ふっと身体に纏わりついていた重さがなくなって、その反動で浮いたような気になる。ヒカルは地面に足がついていることを、足踏みで確認してから、ゆっくりと目を開いた。あまりの眩しさに、思わず下を向いてしまう。

 つい数十秒前までいた、地下室ではなかった。顔に受ける風は自然のもので、真冬の冷たさを伴っている。

 何度となくタイムスキップを行ってきたが、慣れるということはない。いつも不快感を伴って、スキップ先での行動は最初、制限される。

 ヒカルは倦怠感に苛まれる身体を引きずって、道の端に座り込み、俯いたままじっとしていた。少し休んでいれば、頭痛は治まって、普通に動けるようになる。

 目を閉じると、視覚以外の感覚が俺たちの番だとでもいうように、にわかに感度を上げて、周りの情報を取り込もうとし始める。

 肌を刺す冷気や、風に乗ってやってくる、名状しがたい生活臭。それから、座り込んでいるヒカルに目もくれない、人々の雑踏。普段は意識していない分、こういうときだけ、ひとりひとりの足音の違いまでも、聞き取れてしまう。

 誰一人として、同じリズムで歩いている人間はいない。つい耳をすませて聞き入っていると、ひとつの靴音が、接近してくる。そして、ヒカルの前で立ち止まった。

「大丈夫ですか?」

 少女の声に、ヒカルは顔を上げる。逆光になっていて、見えづらい。目を細めて、少女の顔を見て、ヒカルは思い切り咳き込んだ。

「えっ、え、本当に大丈夫ですか?」

 げほげほとえづきつつ、ヒカルは片手を上げ、仕草で「平気だから」「心配しないで」と伝えた。とてもじゃないが、喋ることができる状態ではなかった。

(辰巳、桃子)

 話しかけてきたのは、今回の監視ターゲットである辰巳桃子だった。資料の写真よりも大人っぽく見える。制服がブレザーではなく、セーラー服に変わっているのは、彼女が高校に進学したことを指し示していた。

 とにかく、落ち着かなければならない。大きく息を吸って吐いてを繰り返していると、いつの間にか離れていた桃子が戻ってきて、「はい」とペットボトルを手渡してくれた。

「あり、がと」

「無理して喋らないでください」

 息苦しく、声が掠れた。桃子は心配で仕方がないという顔で、ヒカルの背中を何度も擦った。

 ゆっくりと水を飲みながら、ヒカルはどうしたものかと考える。

 彼女が現れたということは、龍神之業の教団本部が建っている場所から、それほど遠くない。スキップはまずまずの成功だったということだ。それはいい。

 だが、この時代に生きる草とまだ相談していないうちに、接触してしまったのは問題かもしれない。顔を見られてしまった以上、こそこそ監視をしていれば、ばれてしまう。

(こんなとき、あいつならどうするんだろう)

 エリーであれば、涼しい顔で切り抜けるのだろう。あいつにできて、自分にできないことが悔しい。

「あの、これも使ってください」

 桃子は鞄からハンカチを取り出した。丁寧に折り畳まれた、薄いピンク色のタオルハンカチだ。確かに、激しい咳のせいで涙が止まらず、顔はひどいことになっているが、ヒカルは受け取ることを躊躇した。

 迷っているヒカルに気がついてか、彼女は「失礼しますね」と言って、やや強引に、ヒカルの目元を拭った。

「これ、差し上げます」

「でも」

 水のおかげで、少しは落ち着いたヒカルが否を唱えるが、桃子は笑って、ハンカチを押しつけた。

「また、具合が悪くなったらどうするんですか」

 もう大丈夫だと主張するものの、彼女は取り合わない。なぜ言い切れるのかと疑問を向けられると、まさかスキップ能力を使用した副作用だとは説明できないので、ヒカルは黙るしかなかった。

 ヒカルがハンカチの所有を渋々ではあるが認めたのを見て、桃子は微笑みを湛えた。それから彼女は、ヒカルの両手を軽く握る。それから、ぐ、ぐ、ぐ、と三回、規則的なリズムで力を加える。

「龍神様のご加護が、ありますように」

 ヒカルははっとしたが、もう彼女は手を離して、「それでは、お気をつけて」と完全に立ち去るつもりだった。

 待ってくれ、と言いかけて、呼び止めてどうするつもりなのかをヒカルは自問自答する。

 どうせ何もできないのに、どうして彼女に、行ってほしくないと一瞬でも思ってしまったのだろうか。

 桃子の後ろ姿を、ヒカルはぼんやりと見送った。体調は完全によくなった。頭もすっきりしているのに、心はどうしてか、晴れなかった。

11話

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