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<13話
たかがキス。されどキス。
肉親とはいえ、口同士を触れ合わせるのは、ややハードルが高い。
心の準備が整わないまま、前日の金曜日になってしまった。出勤するやいなや、圭一郎は大きな溜息をついて、椅子に座る。
いっそのこと明日、休日出勤にならないかな……いや、どこかへ遊びに行くわけじゃないのだから、帰宅後にキスをねだられるに決まっている。
あの柔らかそうな唇に触れることを想像して、圭一郎の胸はピッチを上げて鼓動を奏でる。不整脈でも発症したかのような反応に、自分で自分がわからなくなり、デスクに突っ伏した。
「あの。天野さん。大丈夫ですか?」
これ、話しかけて平気な奴かな。
そんな色を滲ませた声音で、津村に問いかけられて、圭一郎は顔を上げ、「うん、平気平気。仕事は問題ない」と、笑顔で応えた。
「それならいいんですけど、出勤直後にパソコン壊したのかと思って」
何気に失礼な後輩である。そんなにいつもいつもパソコンやコピー機を壊しているわけではない……よな?
一言文句でも言うべきか、と口を開きかけた圭一郎は、津村と向き合って、彼女の唇に目がいった。
淡いピンク色に塗られた唇は、キラキラと光っている。化粧品の力もあるだろうが、ぷるぷるのつやつや、うるうるだ。
思わず圭一郎は、自分の唇に触れた。指に引っかかる。ガサガサのザラザラ。秋というにはやや早いというのに、どうしてこんなに乾燥しているのか。年か。
こんな唇で明日、和嵩にキスをするのか。嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。いや、そんなこと俺にはできない……!
じっと注がれる視線に、たじろいでいる津村に、恥を承知で頼み込んだ。
「津村! 唇のケアに何を使っているのか、教えてくれ……!」
「は、はい?」
最愛の弟とのキスは、最高の状態の唇で。時間はないが、やらないよりはマシだ。
津村がどこか焦りながら教えてくれた「キスしたくなる唇」になるというリップパックと、とにかく潤うリップクリームを、帰りにドラッグストアで購入した。
普段使っているリップクリームの十倍の値段がしたし、慣れない甘い匂いがむずがゆかったが、それもこれも、弟のためである。
>15話
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