百合子(8)

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この章のはじめから

7話

 チャンスは翌週、すぐにやってきた。

 昼休憩の直前に、課長に割り振られた資料のコピーを、百合子は許可を得て、夏織に回した。

 本来、十枚あった資料の原本から、真ん中の二枚を抜き去った状態で夏織には手渡した。ノンブルの入っていないもので、ラッキーだった。どこの誰かは知らないが、作成者に内心で感謝をする。

 昼休憩を早めに切り上げて、課長のデスクにコピーと原本が置いてあるのを確認する。課長はまだ不在。

 百合子は夏織の仕事を確認するフリで、ぺらぺらとコピーを捲り、頷く。そして何食わぬ顔で原本に手を伸ばし、そっと、抜き取っていた二枚を戻した。

 その後、窓口対応をしている百合子の背後では、課長が夏織を叱責しているのが聞こえた。「でも」とか「だって」と言い募ろうとしているのが滑稽だった。

 ちらりとそちらを窺うと、夏織と目が合った。一瞬のことだったが、彼女には伝わっただろうか。

 そんなことをしたって無駄だ。その男は、私の味方。証拠など掴ませずに、お前に嫌がらせをしてやる。

 結果として、直接的に百合子が動いたのは、この一回のみであった。あとは、サトルと打ち合わせをしたとおり、フリーメールを使って苦情を入れる。

 年配の女性を装い、「窓口のロングヘアの職員の対応が、気に入らない。すいません、の一言もない」と百合子がメールを入れれば、サトルは「窓口で古河って名札つけてる女に、手を撫でられた」とセクハラ被害を訴えるメールを送り、電話でも同様の訴えを寄越す。

 嫌がらせは、じわじわと夏織を苦しめていった。周囲からは、仕事のできない女というレッテルを貼られ、すっかり萎縮してしまっている。

 そして実際に、大きな失敗をやらかし始めるのだから、百合子は高笑いしそうになって、手の甲をつねって耐えたほどであった。

 そんなある日、百合子は再び、文也に呼び出された。

 場所は、完全に振られた記憶もまだ新しい、資料室。だがそこは、嫌な記憶ばかりの場所ではない。

 ワイルドな文也の一面を、初めて知ることができた場所でもあるのだ。百合子はうっとりと、自分を詰問にかかる文也を見つめていた。

「渡辺さん。夏織さんが、最近元気がないんですけど……何か、心当たりはありませんか?」

「あら。そういえばそうね。最近彼女、失敗が多いみたい」

 すらっとぼけて百合子は言う。文也は苦々しい表情で、今度は単刀直入に聞いた。

「質問を変えます。渡辺さんが、何かしているんじゃないですか?」

 百合子は目を瞬かせる。

「何かって?」

「嫌がらせとか……」

「ないない」

 百合子は笑って、手を振って否定をする。嫌がらせをしているわけではない。市民の代弁として、メールをしたためているだけなのだから。

 人が何を思うかは、その人次第。夏織が普通に業務に臨んでいたとしても、受け取り手によって、印象は変わる。そんなのは、当たり前じゃないか。

 大げさな百合子の仕草を、文也は怪しんだのだろう。渡辺さん、と一際大きな声を上げた。

 百合子さん、と呼んでほしい。以前のように。

 百合子はすっと真顔になって、唇を歪めた。

「だって、証拠、ないでしょう? 私が古河さんに対して、何をしたっていうの?」

 フリーメールのアドレスは適当な英数字を組み合わせたもので、かつ、ネットカフェや図書館のパソコンからメールを出している。自宅のパソコンや、百合子のスマートフォンには、何も残っていない。

 若い男の声の苦情の電話と、百合子を結びつけるものはひとつもない。誰も、百合子がサトルという若い男の協力者を得ていることを、知らないのだから。

 怒りを抑えきれないのか、文也が手を挙げた。殴られるのか、と思った百合子は目を瞑ったが、彼の拳は、百合子の頭上の壁を殴る。

 百合子は文也の顔を見上げた。これっていわゆる、アレじゃないか。頬に熱が集まって赤くなるのを感じた。

「証拠が出てきたら、そのときは、容赦しません」

 低い声でそう言ってから、文也は先に、資料室を退出した。

9話

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