偽りの魔法は愛にとける(11)

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10話

 深呼吸してから、扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

 すかさずかけられる声の色は、途中で変化した。全員にまんべんなく与えられる歓迎から、少し親しい相手を目にしたときの喜びへ。優が海老沢を認識したからだった。

「ご無沙汰ですね」

 スーツ姿の海老沢は、もちろん三十八歳の素のままの姿である。当然、優の対応もそれなりで、敬語を崩すことはない。それが少し寂しい。

「最近忙しくて。どうかな、うちの甥っ子、役に立ってるかな」

 女性客にナンパされている優を見て、「客としては来ない」と決めたが、あえて破った。叔父が甥の様子を確認するのは変ではない。

 当人として接触する勇気は、まだなかった。叔父のエビさんとして、第三者相手に優が自分のことをなんと評価するのかを知ってから、キャンディーの魔法を使って、答えを出しても遅くはないはず。

 前回注文した、デカフェのホットコーヒーが勝手に出てくる。今日は店が混雑している。海老沢は、彼の手が空くのを根気強く待った。退屈はしなかった。優の一挙一動を観察しているだけで楽しい。

 ようやく優が海老沢の相手をしにやってきたのは、食後のハーブティーを楽しんでいるときだった。

「エビさん、これ、甥御さんに渡してもらえますか?」

「これは?」

 封筒を受け取ると、優は苦い顔をした。彼にそんな表情をさせているのが自分だと思うと、海老沢はすぐにでも、「ごめんなさい」と真実を話してしまいたくなる。

「俺の行動で彼のことを傷つけてしまったので。直接会って謝りたいんですけど、まずは手紙を」

 いやいや、全然傷ついてなんかない! 驚いたのは確かだけど、嬉しかったくらい!

 彼のいう海老沢を傷つけた行動は、間違いなく額へのキスだ。あえて確認することもない。むしろ、「何をしたか聞いても?」と追及するのは、親ならば不自然ではないが、叔父と甥の関係からは逸脱してしまうだろう。

 海老沢が了承すると、彼は深く頭を下げた。保護者に向けての態度が、遠く感じる。

 海老沢はハーブティーを一気に飲み干して会計を済ませると、店を出た。懐に入れた手紙が、ぽっぽと熱を放っているような気がする。まさか電車の中で読むわけにもいかず、家に着くのが待ち遠しかった。

 いつもよりも長く感じた家路をたどり着き、靴を脱ぐのさえもどかしく、海老沢は手紙を開封する。勢いのままに破いてすぐに読みたい気持ちはあれど、これは優からの手紙である。ハサミを使い、中の便箋まで切らないように注意をしながら、開けた。

『エビくんへ』

 初めて見る彼の字に、目を奪われた。飾り気のない便箋に、整った丁寧な文字。特別達筆というわけではない。しかし堂々と大きく、自信に満ちあふれた書き文字だ。

『この間、店であったこと。君を傷つけたのなら、ごめんなさい。泣いている君を慰めたくて、キスをしました。

 ……嘘です。本当は、君が可愛かったから、好きだと思ったから、キスをしました。

 俺の気持ちに応えてくれなくてもいいです。ただ、ちゃんと会って、話をさせてほしい』

「好き……」

 手紙を読みながら、ぽろりと海老沢の口から、その単語が零れた。海老沢の一方的な勘違いではない。優もまた、自分を――エビくんを好いてくれている。

 胸の内から嬉しさが込み上げてくる。こっぴどく振られて以来、片恋で終わることばかりが多かった。相手も同じ気持ちを返してくれることの幸福感は大きく、海老沢は手紙を胸に抱いた。

 しかし同時に、悔しくて、恐ろしいとも思う。優が好きなのは、若くて素直な青年だ。年を食った臆病な男ではない。自分自身に嫉妬するなんて愚かだ。でも、やめられない。

 海老沢はキャンディーの瓶を取り上げた。あとどのくらい、残っているだろう。

 翌日、海老沢は店の開店前に、若返った姿で訪れた。優は驚き、喜んで迎え入れた。

「叔父さんに手紙を預けたんだけど、読んでくれた?」

 おずおずと頷く。優の目は期待と不安に揺れる水面のようだった。

 海老沢は、ポケットにこっそりと入れたキャンディーの瓶に触れた。昨夜、悩みに悩んだ末に出した答えだ。

「僕も、優さんのことが、好きです」

 すべて言い終わる前に、優の逞しい胸に抱き寄せられていた。ひどく情熱的で、普段は年より落ち着いて見える彼の若さが、愛おしいと思った。

 そう、彼は若いのだ。若さはエネルギーで、強さだ。短い間しか一緒にいられなかった恋人のことは忘れて、新しい恋を掴むことができる。

 海老沢は、魔法のキャンディーによって「エビくん」でいられる間だけ、優の恋人になることを選んだ。別れを告げるかどうか、それとも突如として姿を消すかどうかは、決めていない。ただ、別れてからは「エビさん」としてもこの店に来るつもりはないし、「ステラ」に行くのも辞める。

 完全に、優と断絶する。心に決めて、海老沢は優を受け入れた。

「ありがとう。すごく、嬉しい」

「ん。僕も……」

 優の胸に擦り寄る。紅茶やコーヒーの香りの向こう側に、彼自身の匂いを感じて、胸いっぱいに吸い込んだ。香水ではないし、柔軟剤でもない。自然なせっけんの匂いの素朴さが、彼らしいと思う。

 見上げた海老沢の頬を、優は大きな掌で包み込む。前回とは違い、狙いは唇に定められている。そっと目を閉じて、「どうぞ」の合図を出す。

 薄めの唇が、触れてくる。額にされたときよりもはっきりと、彼の気持ちが伝わってくる。そして海老沢の内側からも、好きという想いが昇ってくる。

 突き動かされるままに、海老沢は口を開け、優の舌を受け入れた。海老沢の大胆な行動に、優は少しためらった後、探るように口中を丹念に舐っていく。

「っ、ん」

 深い愛情と、秘められた肉欲を感じられる口づけは、枯れた海老沢には刺激が強かった。唇が離れていったときには、もう何も考えられなくなっていた。

「優さん、好き……」

 どうかこのまま、魔法よ解けないで。

 海老沢の願いは、決して言葉になることはなく、心の中に散っていくだけだった。

12話

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