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<50話
ギヨタンは理想を語った。観客はクレマンひとりだけの、演説会場である。身振り手振りを交えて、共感を得ようと熱意を込めて説く。
彼は現行の死刑制度に不満を覚えていた。
「死刑をなくせ、というのではありません。刑務所を新しく建てたり、何よりも囚人を食わせるだけの税金が、もったいないですからね」
新聞の社説に理想論を語る人間は、人を生かすには衣食住、金がかかるということを忘れて「死刑反対!」「囚人も人間だ!」と喚くだけだ。政策を変えるには熱意だけでは無理だということを、愚かな彼らはわからない。
ギヨタンは、安易な死刑の廃止は財政の逼迫につながることを見据えたうえで、死刑制度の改革を訴える。
彼の主たる論点は、死刑の不平等性であった。
「貴族は名誉を守るために斬首。女や庶民は絞首刑で、残された家族は蔑まれる。王の命を狙ったり、国家を転覆させようとした人間は、残虐な車裂きの刑でさらし者にされる……」
人間は、神と法律のもとにおいて、平等だというのが、昨今の風潮だ。貴族たちは自分たちの特権を手放したくなくて、反対しているが、都市の知識階級の論調は盛り上がっており、マノンの処刑を斬首刑にしたのも、彼らの運動によるところだ。
同じ罪で捕まったのに、刑罰に差があるのは平等ではない。ギヨタンの演説に、クレマンは心を揺さぶられた。犯罪者たちと一番近いところにいるのは、自分だ。鞭打ちや拷問については他の刑務官が行うことはあるが、首を斬ったり吊ったりするのは、ムッシュウ・ド・パラーゾだけだ。
人が人を殺すとき、そこには必ず事情がある。根っからの極悪人など、クレマンは一度も見たことがない。揉み合っていて突き飛ばしたら相手が死んでしまったという事故の場合もあれば、強い憎しみを募らせていた場合もある。どこかに情状酌量の余地がある。それでも死刑は覆らない。身分や性別によって刑罰が異なることに、疑問がないとは言えなかった。
「人道的な処刑に必要なのは、二つです。ひとつは身分の貴賤等によらず、罪だけを見て刑罰を決めること。もうひとつは、速やかに、死刑囚に痛みを与えずに殺すことです」
クレマンは仮面の下で、苦い顔をした。今でこそなんとか様になっているが、父から完全に正義の剣を譲られた直後は、失敗することも多かった。首ではなく後頭部を強打したり、一度では切り落とすことができず、最後の最後まで、腱が残ってしまったこともある。苦しむ呻き声を夢に見たことは、一度や二度じゃない。
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