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<20話
歩けるようになるまで休ませてもらってから、冬夜は慎太郎と連れ立って、帰路についた。
慎太郎は最初に遊びに行ったときと同じ、フル装備で出かけていた。道を歩いていても、電車に乗っていても、注目を浴びるのは冬夜ではなくて、慎太郎だった。
「こんな格好の僕と一緒にいるのは、恥ずかしい?」
慎太郎の問いかけに、冬夜は首を横に振った。夏とは違い日差しは弱いとはいえ、昼間に出かけるためにしてくれたことだと思うと、嬉しい。
「ありがとう」
それだけ言って、冬夜は黙った。慎太郎も、冬夜の気持ちを汲んでか、何も言わなかった。
無言のまま電車を降りる。慎太郎は冬夜の手首を掴んで、引っ張った。そのまま慎太郎の家に連れていかれる。
「話すなら、僕の家の方がいいでしょ?」
異論はなかったので、冬夜も頷いて、おとなしくついていった。
部屋に入った瞬間、冬夜は慎太郎に、背後から抱きすくめられた。驚きに身を固くしていると、「ごめんね」と囁かれる。くすぐったくて、今度は身を捩った。
十一月の日は落ちるのが早く、部屋の中は真っ暗だ。電気をつけなければ、と思うのだが、慎太郎の腕の力が強くて、もがくことしかできない。
「そのままで、聞いてほしいんだ」
縋りつくような声に、冬夜は肩の力を抜いた。いいよ、という言葉の代わりに、回された腕を、優しくタップする。
しばらく冬夜を抱いたままだった慎太郎だったが、やがておずおずと身体を離した。
それと同時に、電気もつけてくれる。突然光にさらされて、冬夜は目を細めた。
「僕、いくつに見える?」
唐突な質問に、は? と声に出すのを咄嗟に抑えた。何か重要な関係があるのだろうと、慎太郎の顔を改めて眺めて考えるが、冬夜の目にはやはり、せいぜい二十代半ばにしか見えない。
そう伝えると、慎太郎は首を横に振った。
「実はだいたい百五十歳なんだ」
「ひゃく……ごじゅっさい」
間抜けに繰り返しただけになった冬夜を、慎太郎は笑わなかった。日本史で受験したのに、冬夜は百五十年前が、何時代なのかを思い出せない。
「父が人間で、母が吸血鬼。両親は、お互いに愛し合っていた。僕にはそれが、羨ましかった」
約百五十年前、慎太郎の両親は出会い、恋をした。異種族間での恋愛に結婚、そして出産は、困難を極めたに違いない。
「でも、駄目なんだ。僕には、母のような勇気はない」
「慎太郎のお母さんって……」
慎太郎は悲しみに満ちた顔をした。それだけで、答えはわかった。
永久の時を生きる吸血鬼を、殺す方法。門外漢の冬夜でも、知っている。心臓に杭を打ち込むか、銀の弾丸を撃つのだ。
「父の墓の前で、母は銃を持って、笑って言った。あなたも、一生をともにしてもいいと思う相手を見つけなさい、って」
ぽろり、と慎太郎の大きな目から、涙が落ちた。拭うことをせずに、慎太郎は続けた。
「愛しいと思った相手が死んでも、僕は死ねなかった。普通の人よりは丈夫だけど、毒だって効くし、首を吊っても死ぬことができる。母さんよりもよっぽど、苦しまないで死ねる。でも、そんな勇気はなかった」
誰も好きにならないように。
この世に生きるものはすべて、慎太郎よりも先に天に召されてしまう。
人の温もりを、愛情を知ってしまえば、孤独はより一層、辛いものになる。慎太郎は、それならば近づかなければよいと判断した。
「本当は、僕は最初から、君に惹かれていたんだ」
「慎太郎……」
「強張った顔で、おどおどしているのが印象的で、見ていた。そうしたら、同じようにずぶ濡れの女の子に、傘を譲っていたから、驚いた」
初めて会ったときのことを、慎太郎ははっきりと覚えていた。忘れられていると思っていたのだ。あのときもらったチョコレートを何度買っても、一ミリも反応がなかったから。
「どうせ、あんな顔して意外と親切なんだな、って思ったんだろ」
唇を尖らせる冬夜に、慎太郎は首を横に振った。
「違うよ。他人の目を気にして歩いているのに、自己中心的にならずに、相手のことを思いやることができる人間は、なかなかいないから」
百五十年の歳月で、慎太郎は人間観察力には、ちょっとした自信を持っていた。
周囲からの視線に怯えている、冬夜のような人間は、自分自身のことで手一杯で、相手を思いやる心がない。慎太郎が今まで見てきた、同種の人間たちはそうだった。
だが、冬夜は違った。新鮮さに驚いて、慎太郎は、助けたいと思ったのだと言う。
「チョコレート」
その単語に、冬夜は反応した。慎太郎は優しい瞳をこちらに向けている。
「あのチョコレート、ずっと買ってくれて、たぶんこの子も、僕と同じ気持ちなんだろうと思った」
近づきたいのに、人との触れ合いに対して臆病だから、近づくことができない。
「反応しなかったのは、どんどん好きになっちゃいそうだったから」
いずれは置いていかれてしまう相手を好きになってはいけない。そうガードを張り巡らせていた慎太郎だったのに、あの日、罰ゲームのせいで冬夜が告白をしたから、すっかり変わってしまった。
友達ならば、大丈夫。そう言い聞かせて、慎太郎は冬夜の隣にいた。
「でもやっぱり、駄目だね。一緒にいたら、不器用すぎて、真っ直ぐすぎて……好きになっちゃった」
特に冬夜は、慎太郎が初めて、自分が半吸血鬼であるということを明かした相手でもあった。
恐れることなく、「なら自分の血を飲めばいい」と言い放った冬夜が相手ならば、とわずかに期待をした。
話を聞くうちに、冬夜は気がついた。
「そっか……だから……」
慎太郎が冬夜から距離を置くきっかけになった、あの映画。異星人と地球人との恋愛物語は、彼に自分の両親のこと、そして自分が人間よりもはるかに長い寿命を持つことを、思い出させてしまった。
「僕が冬夜くんを愛しても、君は先に死んでしまう。僕には、君を追いかけて命を絶つ勇気がない」
慎太郎の腕が、再び伸びてくる。冬夜は逃げなかった。ぎゅ、と抱きしめられる。肩が冷たい。慎太郎の涙だ。
「君を、一人にしてしまう……」
ああ、なんて。
なんて、この男は、優しいのだろうか。
冬夜は一つ、勘違いをしていた。慎太郎が人間を愛することを禁じているのは、彼自身が孤独になるのを恐れてのことだと思っていた。
だが、実際は違った。彼は、先に逝く愛しい人を、あの世で孤独にしてしまうことを、何よりも恐れていたのだ。
冬夜は慎太郎の背に、腕を回した。慎太郎を受け入れるという意志表示に、他ならなかった。
「いいよ。慎太郎は、生きてよ。俺が死んだ後も、ずっとずっと、生きてよ」
後追い自殺をされても、嬉しくない。冬夜が人生を全うするのなら、慎太郎にだって、最後まで生き抜いてもらわないと、フェアじゃない。
それに冬夜はまだ、自分の死を考えたことはない。おそらく五十年後くらいに、具体的に考えればいいことだ。
「俺は慎太郎のことが好き。慎太郎も、俺のことが好き。だから、一緒にいる。それが答えで、俺はいいと思う」
慎太郎は、どうしたい?
冬夜は自然に、微笑みを浮かべていた。卑屈な愛想笑いではなく、愛しい人に向ける笑いは、きっと誰が見ても、怖いとは思わないだろう。
冬夜の問いかけに、慎太郎は涙の混じった声で、
「一緒にいたい……!」
と叫び、冬夜の身体をより一層強く、抱き締めたのだった。
>22話
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